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2023.08.22 具現化させる認識のズレ
突然ですが、ワタクシ特技がございます。
紙を重ねて、上の一枚だけを感覚で切れる。
線を描いて、上から重ね書きしても一本に見えるようにズラさず描ける。
1メートルくらいの大きさなら、目視で何センチくらいと言い当てられる。
ほぼ等幅で点が打てる。シールも貼れる。重ねた紙の同じ場所に延々とノンブル(ページ数)を紙面に張り込むことができる。何時間も。ヘタすりゃ10時間以上。
(そして肩の神経を断裂させ、激痛で何日も悶絶した経験がある)
たぶん、単純ながら精度が求められる作業なので、向かないひとは発狂しそうになると思う。
あ、どうしてできるようになったかがバレてしまった。(;´д`)
今や誌面はAdobe InDesignですべて一発管理できる時代ですから、手作業なんてはるか遠い昔の話となってしまいましたが、まだ版下と呼んでいたころはすべて手作業で印刷デザインをやっていたんですね。
特技、と書きましたが、厳密に言えば職人的な技術ですね。
経験値によって精度と作業速度を上げただけなんですが、これ、多少の差はあれど職場ではできて当然なので、そのなかにいると一般社会での感覚が狂います。
自分ができるから、ほかのひとも簡単にできると思ってる。
以前も書きましたが、私の夫は数学オバケなのでその基準で生きています。
わたしと出会うまで、世の中の全日本人口が掛け算九九が完璧に言えると思って生きておりました。そんなアホな。怖。
体感的に「半数以上は怪しいわ」と言っても信じてくれない。
大袈裟ではなく、そんくらいの人数で怪しいよね???
完璧に、間違いなく、脳内で数をひっくり返さなくても九九のすべての段をすらすら言える人なんかそうそういないよね。
そう言っても、理数系の夫と娘の理解度が異なる。
自分と、あのひとたちは違う世界に生きている。マジで。
ということで、人間は自分の基準を中心にした世界で生きているので、そこから外れるひとを想像するのは難しいんですよね。
なぜ、こんなことを書くかというと、ちょっとした気づきがあったからなんですよ。
わたしは自分の内側にあるものを、表に出して具現化する方法をいくつか持っていて、それなりの方法でそこそこの成果を出すことができる——って、遠回しに言い過ぎましたかね。
つまり、創作において文章だったり、絵、立体、それぞれ完璧とはとても言えませんが、時間をかければ妥協できる状態にまでは持っていけます。
なので、やりかたの教えを乞うことはあっても、自分の代わりに制作してもらうのはまれです。
違う分野、つまり脳内の立体化⇔脳内映像⇔イラスト化⇔文章化、とそれぞれを飛び越えて、異なるジャンルの創作を行ったりきたりしています。
使用する脳の領域が違うっぽいので、切り替えるのに時間がかかることはあります。
思考内の文章化は10代になるまえからの常日頃の変換作業であったため、意外にもほかのひとが当然にできることではない、と指摘されて気づいたのは数年前。
それから平面を見て立体構造を理解できる、もしくは実際に見て立体を把握すれば、脳内でPC上の3D映像のようなものを作り上げ、上下左右にぐるぐる動かして見て、絵に起こすことが可能です。
全体の動画を構築して、人物の行動を追って、カメラ配置をするようにカットを切り替えて見たりとかもできます。(精度を上げるのに、画像や動画の資料を参考にもしますが)
おそらくですが、絵を描いたり立体を作ったりするひとには、全員が取得している技能だろうと思います。
特筆すべきは漫画家。ワンカットのイラストだけでなく、動画のカメラワークや小説的な物語の構成力や文章力、静止画像なのに動画的な動きを伝えるなど、多方面からの表現が要求されるので、もっと高度な脳内映像力と再現力が備わっているものと想像できます。
立体造形に関しては、自分は身体上の欠陥(視野の障碍)で左右対称に作るのが非常に難しいため、作れはしますが、近年になって向いてないなと感じるようになりました。3Dソフトを学び、扱えるようになってデジタルで造形し、3Dプリンターを使ったほうが良さそうだとも思っています。
立体から平面に落として描くのは可能なので、平面絵のほうが向いてるらしいと思い直し、最近画力の向上を考えるようになりました。
このあたりは自分にとってふつうのことながら、特殊技能であることはわかっていたつもりなんですけどね。
というのも今回、小説のなかに出てくる登場人物が、創作者のなかで明確な姿をもっているわけではない、と気づかされたんですよ。
あたりまえじゃん、と言われるかもしれませんが。
商業デザインの分野ではクライアントから依頼をもらう場合、『こんな感じで作ってください』という、ある出来上がりに近いラフ画というか、指示書をもらうのがふつうです。
そうでない状態で手をつけると『こうなのかな?』と勝手に想像して作ってみて、依頼者から「そうじゃねぇよ!」と何度も修正を食らうはめになり、工費は取れず時間はかさむ、という頭の痛い状況になるからです。
商業デザインは、制作するにあたって依頼者から費用をもらい、依頼者の構想を具現化するための手足となることなので、アイデアを提供することはあっても、よほどの不備が無ければ我を通してこっちのほうが良いです! と主張することはまずありません。
2、3案提出して、そのなかから選んでもらう、ということはやりますが。
希望どおりに応えるには、依頼者側に希望の条件があるていど固まっているのが前提、そして、そのとおりに作りたいので制作するための指示をください、というのが商業デザインの基本なんですね。
そうでない(何も決まってない)のなら、こっちが作ったものに文句言うな、といいたいのですが、叩き台作ってね、と言われて作り、あっち直して、こっち直してと言われているうちに、原型を留めないなんて苦労話はありがちです。
だから小説の挿絵を描く前に、相違が生じないよう、最初に『こんな感じのイメージがあったらください』と言ったら、なぜか連絡がなくなった経験があって、あれっ? と思ったんですよ。
すみません……そういうことだったんですね。
はじめて気づきました。
そうか……、そもそものイメージ自体が明瞭ではないのか……。
さらに言えば、ネット上に多量にあふれる画像からピッタリだと思うものを選ぶ、ということすら経験がないし、明確になっていないからどう選んだらいいかもわからないのか……。
申し訳ないことをしたなぁ。
当たり前だと思ったことが、そうではない、というのは、『自分以外のひとが、真になにを考えているのかは本当にわからないものだ』と思い知らされます。
もっと言えば、『作者のイメージどおりに仕上げたい、だから条件を頂戴』と考えるほうが珍しいのかな。
あるていど任せてくれて、自由に表現しても許してくれるのが小説家さんの考えかた、なのかしら。
むしろ、こう言うふうに描いてもらえるんだ、と前向きにとらえてくれるものなのかな。
そうであれば、とても気持ちが救われるんですけどね。
こんな絵でいいのかな、と悩みつつ、すごく喜んでいただけるのは本当に嬉しい。
自分の絵にクセが強いもんで、好んでもらえるかいつも不安なんですよ。
たとえラフ画でも喜んでもらえるのなら、心から描いてよかったと思えます。
本当にありがとうございます。
watergoods様(https://estar.jp/users/962917044)
BORDERLINE シリーズ3作の主人公 ヴァン・クレイグのイメージで描きました。
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