想いを文字に変えて。

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 あなたが最後に文字を綴ったのはいつの事ですか?  あっ……分かっているとは思いますけど、私が聞いているのはノートに書くような『記録を残す為の文字』の事ではありませんよ。  愛おしい人の事を想い、何とか自分の気持ちを伝えられないかと悩みながら綴った『言霊の宿った文字』の事ですからね。  そんな文字を綴った日の事を、あなたは鮮明に思い出せますか?  もしも思い出せないと言うのなら、なぜ忘れてしまう程の長い年月を『言霊の宿った文字』に触れる事無く過ごしてきたのでしょうか?  ペンで文字を書いたり、キーボードで打ち込んだりするのが面倒だから?  文字では書く事が出来ないような難しい漢字でも、声でなら簡単に使えるから?  それとも、文字を使って伝えるよりも、声を使って直接伝えた方が早くて便利だから?  もしもそんな理由で文字から遠退いているのなら、それは凄く勿体ない事だと思いますよ。  あなたの気持ちを文字に変え、大好きなあの人にお手紙を綴れるって、とても素敵な事なんですから。  想いを込めて綴った文字には、声には無い特別な力が宿っている事を知らないんですか?  せっかくそんな不思議で素敵な事が出来るのにやらないなんて……。  …………。  …………。  確かにあなたの言う通り、この世界には文字がたくさん溢れていて、誰でも当たり前のように読んだり書いたり出来るのに、それを特別な事だって言われても実感は湧きませんよね?  まぁ、たまに読めないような難しい漢字もあったりしますけど、平仮名や片仮名だったら誰でも簡単に読み書きが出来ちゃうし。  幼稚園に通っているような小さな子供でも、母の日には大好きなママにお手紙をプレゼント出来ちゃうくらい、平仮名の文章って簡単に思えますからね。  でもね……。  文字が読めるのが当たり前だと思える事が……。  誰でも文字を書けるのが普通だと思える事が……。  実はとても幸せな事なんだって気が付いていますか?  確かに幸せがいつも傍にあると、その幸せに気付きにくいものですけれどね。  文字が溢れるこの世界の中に、文字を読める事が当たり前ではない世界がある事をあなたは知っていますか?  想いを伝えたくても文字を書く事が出来ず、渡されたお手紙を見ても文字を読む事が出来ない……そんな人が居る世界の事をあなたは知っていますか?  それは遠い外国のお話でも、小説に出てくるような異世界のお話でありませんよ。  その世界はいつもあなたのすぐ近くに存在しているです。  もしも知らないと言うのでしたら、私と一緒にほんの少しだけ『静寂の世界』を覗いてみましょう。  まず、聞こえる人が生まれて初めて意思を伝える手段として使うのは『音』なのだと思います。  大きな泣き声を出す事で空腹を伝え、濡れたオムツの不快感を伝え。  色々な泣き声を使い分ける事で想いの種類を伝え、自分の欲求を叶えようとする。  母親はそれに対し『声と言う名の音』で答えてくれる。  聞こえる子供は世の中に溢れる音の中に、意思を伝える事が出来る『声と言う名の音』がある事に気付く筈です。  繰り返し聞こえてくる『声』の中から同じ音を聞き分け、『りんご』や『おもちゃ』のように物には名前がある事を知り、『食べる』や『遊ぶ』のような行動には名称がある事を知り、それらを組み合わせる事で意思を伝える『言葉』を作れる事を覚えていくのだと思います。  やがて『声』にはそれぞれの音を表わす『文字』と言うものがある事を学び、覚え、当たり前のように『言葉』を紡いでいけるようになる。  でも……。  今からあなたに経験してもらう『静寂の世界』では全てが違ってきます。  『静寂の世界』に生まれたあなたの耳は音を捉える事が出来ず、自分の周りには色々な音が溢れている事が分かりません……。  当然の事ですが、あなたは自分が色々な音を出せる事も知りません……。  痛い、眠い、空腹、暑い、寒い、不快。  感覚や感情は聞こえる子供と変わらないけれど、それをどう伝えればいいのかは分かりません……。  母親は抱き締めてくれるけれど、お口をパクパクさせるだけで、それが何を意味しているのかは理解できません。   聞こえる子供ならば「これはりんごって言うのよ」「食べたい時は欲しいって言うのよ」……そう教えてもらえますけど、あなたには「これは〇〇なのよ」の部分が聞こえないので分かりません。  りんごを指さしながら『りんごの手話』を見せたとしても、それが言葉である事すら分かりません。  自分の名前も分からない……。  物には名前がある事も分からない……。  行動や感情に呼び名が付いている事も分からない……。    あなたは自分の想いを伝える手段が分からないまま成長していきます。  そうだ! 言い忘れてましたけど、あなたは心の中で(りんごが食べたいけど、どう伝えればいいんだろ)なんて考える事も出来ませんよ。  …………。  …………。  どうしてって?  その答えはとても簡単ですよ。  どんなに些細な文章でも、心の中に思い描けるのは『言葉』を知っているからです。  そして頭の中で声を再生して考えられるのは『声』を聞いた事があるからです。  『静寂の世界』の住人となったあなたには、どちらも理解できません。  こうして書かれている文章も、あなたの頭の中では音として再生されず、音の分からない只の記号にしか映らないんです。  そうですね、例えばピラミッドの壁に書かれてる文字って見た事ありますか?  『目』とか『鳥』とか『へび』とか。  あれってどんな発音で読まれていたのかは分かりませんよね?  でも『へび・目・鳥』の順番で並んでいるのが人の名前を表わしているんだって分かったら、たくさん書かれている文字の中から意味の分かる部分を何か所か見つける事が出来ますよね?  それと同じようなものでしょうか?  あなたは『音』が分からない『平仮名と呼ばれる記号』の中から意味を持った組み合わせを見つけ出し、文章の意味を理解しなければなりません。  平仮名の種類は46個……。  濁音や破裂音、半音も加えれば116個……。  そこに『片仮名と呼ばれる記号』や『漢字と呼ばれる記号』の他にも『数字』や『アルファベット』を加えれば、あなたが覚えなければならない記号は膨大な量になります。  想像をしにくいと思いますので練習をしてみましょうか?  赤くて丸くて美味しい果物は『〇▽☆』と呼ばれています。  それが欲しい時は『□◇◎』と言います。  では次の文章の中から、主人公が果物を食べたがっている場面を探してみましょう。  ∵≠□。◎〇△☆§、▼◓▽ψ※◎……。  ☆△〇▽☆□◇◎、◦∝∵≠□◆◇。  ※●〇◓、△◇◎☆、=<Θ◎☆△?    どうです? すぐに見つかりましたか?  もうイライラしちゃいますよね?  あなたが「こんなの覚えられる訳ない!」って叫びたくなる気持ちはよ~く分かりますよ。  でも……。  『静寂の世界』の住人となったあなたは、叫び声をあげる事も出来ません……。  見えない事、体を動かせない事……それは『人と物』とを遠ざけます……。  でも、聞こえない事……それは『人と人』とを遠ざけてしまうんです……。  言葉を覚えられない……文字を覚えられない……。  理解できない……伝えられない……。  それはとても孤独で悲しい事なんです……。  …………。  …………。  …………。  …………。    はい! あなたは無事『静寂の世界』から戻ってきました。  どうでした?   あなたの想いを文字に変え、お手紙を綴れるのがどれほど特別な事なのか分かってもらえましたか?  せっかく当たり前のように文字が書けるのに勿体ないって思いませんか?  それにね、お手紙に綴られた文字って、書いた人のお顔を思い浮かべ、声を頭の中に再生しながら読む事が出来るんですよ。  それも電話とは違って、好きな時間に何度でも何度でも。  こんな素敵な魔法は他にはありませんよ。  それが分かってもらえたのなら……。  愛おしい人の事を思い浮かべ……。  想いの全てを文字に変え……。  あなただけの素敵なお手紙を綴ってみませんか?    ここまでお読み頂き有難う御座います。  文字を綴る事の素晴らしさを分かって頂けたのなら、次は耳が聞こえない子供達にどうやってその素晴らしさを教えてあげたらいいか……是非それを考えてみてください。  その為に、合わせてこちらの作品もお読み頂けたらと思います。 『子供が分かる言葉で授業をしてあげてください……』 https://estar.jp/novels/25767957
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