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『少年探偵団』シリーズを生んだ江戸川乱歩の最期とは?
1965(昭和四十)年六月頃。乱歩の親戚で本職は外交官、そしてミステリー作家、フランスミステリーの翻訳家、評論家で知られる松村喜雄が乱歩邸を訪問した。当時、松村は四十六歳。
松村は遺著となった『乱歩おじさん』(1992 晶文社)で、自分が小林少年のモデルだったかもしれないと示唆している。
乱歩は小林少年について「小林義雄」と表記していることがあり、松村宛の手紙で度々、「松村義雄」と宛名を書いていたのである。
松村たちにミステリーの大先輩として、本音を包み隠さず話してきた乱歩、ミステリーの発展のために松村のような若者にも熱意を込めて接してきた乱歩。
だがそこには幽鬼のような乱歩の姿があった。何もしゃべらず、うなずくばかり。乱歩の目を見た松村は、
「生きている人間の目ではない」
と悲痛な思いに襲われた。
ペンを持たせると、自分の名前を書こうとするのだが、それすら出来ず、ペンを投げ出していた。
何もする気力がなく、ボンヤリと漫画を読みふけっていると乱歩の妻は語った。
松村は慄然として、早々に乱歩邸を辞去した。
七月二日。横溝正史が乱歩を訪ねた。乱歩はボンヤリと、
「僕はもう駄目だ。何も書けない」
とつぶやいた。
正史は涙ながらに、
「大乱歩が何を言ってるんですか? 元気になってください。書いてください」
と大声で励ましたが、乱歩が答えることは遂になかった。
七月二十八日夕方。ミステリー評論家の中島河太郎は、乱歩危篤を聞き、慌てて乱歩邸を訪れた。
布団に横たわったまま、目を閉じていた乱歩は、中島の呼びかけに応えるように大きく目を開けた。その目は光を帯び、何かを言いたげに見えた。
中島は書く。
<それが巨人の最期でした>
ポプラ社版「少年探偵 江戸川乱歩全集」が完結したのは、それから八年後の1973(昭和四十五)年だった。
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