rainbow知晴

自然がいくら秋の訪れを告げても、それに耳を傾けなければ秋を見ず。まだまだ暑いと信じた景色は夏のまま...。昔はどんぐりを拾いながら秋を感じることが出来たのに。今はいくら探してもどんぐりは見つからず。でも、もしかすると、見つからないのではなくて、見ていないだけかも知れない。見る余裕が無くなってしまったのかも知れない。そう感じることが出来たのは、あの時のトキメキを思い出すことが出来たからなのでしょうね♪ゆっくりと立ち止まれば、小さすぎて見逃してしまっていた秋をまた感じることがきっと出来るんじゃないかなあ。 読んでいて、人の一生を徒雲に例えているような気がして...。同じ徒雲である御爺さんが若い徒雲を心配して声をかけているみたいと感じてしまいました。自分のようにはならないでほしいと嘆く気持ちもあり。それでもこの先、色々あるけれども、色なき風にしがみつき、みっともなくとも生きてはいけるから...って。形をとどめること、それは生きる意思。だからみっともなくなんてないです。もしも意思なき物に意志があったら...。そう考えてしまうことが私にもよくあります。 目にする景色は特別なものでもなく、いつもと変わらぬ見慣れた景色。だから四季の実感も特別なものではなく当たり前のこと。あまり意識しないまま季節は過ぎてしまうけど...。ただ意識していないだけで、自然は季節の訪れを沢山運んでくれているのですね♪ 四季は身近過ぎるから...。私も忙しかったりすると、季節の変化を当たり前にとらえてしまったりします。だけど、立ち止まって季節を感じたいなあって、この作品を読んで思いました♪読ませて頂きましてありがとうございました(*^-^*)
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知晴さんこんにちは&おつかれさまです♪このたびは、イベントに参加させていただき、まことにありがとうございました。 そしてこのレビュー。恐縮ですm(__)m今回、自分の中では “みつける” ということに焦点を絞り、書いたつもりです。 みつけるだけでなく、みつけたことによって、自分の中に芽吹くもの、自分から削れてゆくもの、自分を戒めるもの、など、自分を確かめる手段として、“みつける” という行為があるのだと思い、それらを含めてみました。 そういう事をじっくり考えるには、秋という季節が最適ですね。自分以外のなにかではなく、自分で自分をみつけるには。 貴重なレビューをありがとうございま
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