藤白 圭

「疲れ」についてのテーマ。 一見、難しそうな話に思える作品ではありますが、あまりに自然な語り口調の文章が、まるで、その場で一緒に会話をしているかのような臨場感を与えてくれて、スッと頭の中に入り込んできます。 肉体的な疲れ。 精神的な疲れ。 それらの疲れに関しては、人はすぐに原因を追究し、対処するものの、もう一つの「疲れ」があるというところから、謎解きのような話しは進んでいく。 三つ目の「疲れ」を知った時。 現代日本でも社会問題になっているはずなのに、対応が後手後手になっていたり、とんちんかんな打開策が設けられていたりと、中々その疲れを取ることができないような気がする。 何故なら、その「疲れ」を感じてはいても知らない人が多すぎるからであろう。 人は社会に適応していくために、周りに合わせる。 それが常識なんだと認識する。 だからこそ、三つ目の「疲れ」に気が付かない。 そして、三つ目の「疲れ」を理解しても、それに対してうまく動けない。 そんな気がしました。 自分達が変わらなければなくならない「疲れ」 これは現代社会における問題であり、皆で考え、かわらなければ解決できない問題なのだと考えさせられる作品だと思いました。 深い話をありがとうございます。
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快紗瑠さんレビューありがとうございます! 最近小難しい話が多いんですが、論文みたいなものをちょっと考えてみようかなと思ってつくった作品ですね。 現代社会に暮らす僕たちは、たえず何かしらの疲労感にさいなまれている。 それはときには肉体的疲労だったり、精神的疲労だったりしますが、いくらそれらを取り除いても、残っている疲労がもうひとつあります。 それは、モンゴメリーバスボイコット事件のときを語ったローザ・パークス女史の言葉の中にありました。 彼女は、肉体的に疲れていたのでも、精神的に疲れていたのでもなく、差別を容認する社会に疲弊していたのです。 社会的な疲れというものは、快さんのおっしゃ

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