ありす

禅問答──という言葉がある。 問いも答えも要領を得ず、さっぱりわからない。真に謎極まるような受け答えのこと──とある。 それもそのはず。禅とは言葉なき教え。 固定概念や一般的な論理、自己という存在の殻を破り、仏教の教えを文字ではなく心で悟る宗派である。 物語の主人公は、とある熟年夫婦の旦那さん。 毎週行われる禅寺での座禅会に参加するということから、彼はおそらく定年を視野に入れて第二の人生を模索しているに違いない。 いやいや。単に心の平安を求めてのことだろうか。 なんたって、名もなき禅僧が対峙するラスボスは──失敬、細君は。あ、細君って言うとイメージが全然……や、失敬。 奥さんに与えられたキャラクターは涅槃仏である。姿勢からしてまったく真逆の人だ。 そんな両者は実に熾烈な死闘を繰り広げるのである。 『ANMAN』という伝説の武器をめぐって。 怒られる前に話を戻そう。 作者はおそらく、禅とは何かという基軸を知り尽くしたうえで、この作品を生み出したのではなかろうか。 まだ世間の荒波に揉まれてもいない若者なら 「ZEN? なにそれ今流行りのマンガか何かー?」 なんて言いそうであるし、今まさに荒波に揉まれまくりんぐな世代は 「禅? そんな余裕ぶっこいて座ってられる時間なんて、こっちには一秒だってねーんだよッ!」 なんて、一休さんもガクブルの修羅のような顔をして激昂するに違いない。 あ。これは私のことか。 それはさておき、主人公の周囲の環境と禅への結びつきがとても自然なのだ。素晴らしい。 そこで思い出す。 禅宗には豁然大悟(かつぜんたいご)という言葉がある。 言葉の介入する余地もなく、いわば本能的、直感的に悟りをひらくことである。 文字に重きを置かない、禅ならではの感覚だろうと思う。 この作品にはその香りがする。 禅寺の静謐な空気と妻との俗世的なやり取り。 このふたつが対比しあって、何とも小気味よい。 昔のような甘さはもうないけれど、そこはほら、あんまんっていう最終兵器におまかせしよう。 なんたって、禅は仏教から派生したのだから。 天地がひっくり返っても、禅僧は仏には敵わないのだ。 甘いお供え物で、ほっこり幸せの悟りの境地。 なんと見事な禅問答。実に見事な領解でありました。 最後に。 さんざんいぢり倒したレビューでごめんなさい。 平謝り(。-人-。)
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うむ。それじゃ姫、体育館裏で正座待機ヨロね? だなんてドSなこと......いやド失礼なこと申し上げましてすみませんすみません。ひゃ~。禅僧は仏には勝てない←名言ですさすが姫です。日曜なんちゃって禅オヤジが家庭を牛耳る涅槃仏に勝てようはずがありません逆立ちしたってね~ムリムリ。 いやいやいや、本当にもう無茶苦茶お忙しくて寄らばKillぅっ状態の師走に極上レビューありがとうございます。 年末年始どうぞくれぐれもお体に気をつけて樽ワインを飲み干してねえスキスキマイハニ-はぁと~(人´ з`*)♪
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よ、よござんす。 コタツとミカンと熱~いでん印のお茶を用意してくれるんならば このありす。何時間でも正座待機いたそう。 zzz……Oo。 (|3[___] おおっとぅ。寝てなんていませんぜ、あっしはよぅ← うぬぬ。 読んでるうちにあんまんが食べたくなってきちゃったではないですかあ!(*ノдノ) でも、絶対あんまんって頬張ったとたんにヤケドするよね。肉まんはならないのにどーして? コンビニが仕掛ける罠なのか、それとも食欲に勝てない煩悩さのなせる業なのか……むぐぐ。 でんさんも酒がのめる酒がのめる酒がのめるぞーな年末年始 どうぞごゆるりとお過ごしくださいませ~(っ´∀`c)
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