宗教的風習の愚かさ
人身御供。 世界各地で近年まで行われ、数々の伝説が残ります。これは日本にあった風習ですね。 ピサロやコルテスが中南米を征服したとき、残酷な生贄の風習がなくなってよかった、と考える人も多いです。 あるドキュメンタリーで女の子の印象的な発言がありました。神様は本当はいないのに、信じる人がいるからおかしな事になるんだ、と。 飢饉や災害の後、復興に使うべき資金で大仏を作ったり、働かずただ何年も壁に向かって座っていたり。愚かです。 さて、二人はこれからどうなるのか?続きを楽しみにしております。ゆっくり、じっくり書いてほしいと思います。
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「補陀落」まで読んでくださり、ありがとうございます! 悩みに悩み、3分の1くらいまで無くなってしまいましたw 8000字の中に、言いたいことをぐりぐり詰め込むのは 難しいものですね。 宗教色の強いものは、実はとても気を使いますね。 自分の信じているものを押し付けてはいけないし かといって批判じみると、それもまた傲慢な気がします。 流石に今の時代の日本で、 人身御供を肯定する方はいないでしょうが この忌まわしい押しつけは、勝手な人間たちが 勝手な神への「忖度」の結果なのかもしれません。 自由に生きることを決めた彼女は、 次は何処に行くのか・・。 きちんと考えてあげたいと思います。 読んでいた
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