如月 康志

優しさがあるからこそ
拝読させていただきました。 まず最初に、主人公の優しさに、頭がさがる思いです。 疾患について、 例えばですが、腕の傷で包帯を巻いていたり、足の怪我で歩行困難があれば、周囲はケアが必要な人なんだと思います。 ですが、それが心の疾患の場合は、傷の場所も、心にどのように包帯を巻いているのかもわからない。 本人の訴えと行動が、それを予測する最もなものです。 また、世間では、『鬱傾向だから』とか、『粘着気質』とか言う人も多いですが、実は性格の1片だけみると、それって誰にでも当てはまったりするんですよね・・ では、それの境目はどこにあるのかってなると、本人や周囲が苦しんで、社会生活が難しい状態になった場合に、疾患として認められることが多いのが心の疾患ですよね・・。 周囲の人、特にパートナーであれば、必死になって支えてあげたいと思うでしょうし、出来ることなら自分が代わってあげたいとさえ思うのではないでしょうか。 ・・ですが、気がつくと、相手は何にも変わっていないのに、自分だけがボロボロになって、あまつさえ相手はそれが当然で、悪いのは全て相手のせい(自我機能の脆弱さから、それを認められないのもあるのですが・・)となると、どれだけ優しさと愛情をもって接しても、限界はきます。 どちらか、またはどちらも不幸になるのは、私は違うと思います。 結ばれたのが縁なら、別々の道を歩むのもまた縁ですよね。 だったら、お互いがお互いの幸せの道を、自分の足で歩んで探していけばいいのですから。 出会いも別れも、決して無駄じゃない。 でも、 人って不思議ですね・・ 尽くしすぎても、まだ足りなかったのではないかと時に考えて・・ そうなっても、自分を責める事があるのですから・・ 世の中には仕方のないこともありますよね・・ 思い出すことがあっても、どうかご自身を許してあげてくださいと、一読者として主人公のこの先を思って願っております。 幸あれ!!
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如月康志様 この度は、わたくしのエッセイを最後まで読んでいただきまして、誠にありがとうございました。 毎ページに如月さんのコメントが書かれており、それを読ませていただき、それが書き進めるための活力になったのかと思います。 本当にお礼を申し上げます。 説明文にある通り、全てが真実ではありませんし、起きた出来事も、自分にとって曖昧であり、また、思い出したくない出来事でもあるため、わずかな記憶をもとに書きました。 ただ、その時その時に感じていた気持ちや感情などに、決して嘘はありません。 フィクションであり、ノンフィクションでもあるエッセイです。 それに対して、こんなにも丁寧でありがたい感想を
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主人公の優しさをとても感じることが出来ました。 生きることは美しいことだけじゃないですよね・・ もう立てない、もう歩けない。 そう思っても、いつかまたどこからか光が差し込みます。 その過程で、 汚れることもあります。 傷つけることも傷つけられることもありますよね・・。 でも、それこそが人間らしい生き方かもとも思っております。 きっとそれは、なんでもない道端の花を、キレイだと思えるための道なのかもしれませんね。 艱難辛苦、汝を珠にす。 この言葉がぴったり合うように思いました。 拝読させていただきまして、本当にありがとうございました。 何度でも言います。 主人公に幸あれ!!
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