天川 青大

【夾竹桃の朝】を拝読致しました。 作者様の作品を幾つか拝見しましたが、この作品は格別に秀逸です。 似たような経験は誰にでもある。誰にでも思い当たる子供の日常と心象風景です。 しかし、物語を構築する時に実は、これほど難しい事はありません。何かとてつもない事件を題材にとって絡ませた方が容易いのです。 かくれんぼの最中に京子が思い出したように泣いている。大好きだった姉を思って泣いた場面に、ぐっと来ました。 主人公と共に京子の悲しみが判るからです。それは勿論そこへ引き込む作者様の筆力です。 作中に《智之は、花の心を感じた。キラキラ、あたたか い流れが来る》 この感性が、ずば抜けています。これは天与の才能としか思えません。フジミドリさんは、物語を書いて感動を伝える役割がある方だと思います。 現代に欠けているものは感動だと僕は思っています。 日常の些細な出来事の中から感じ取る感受性こそが人間たらしめる能力であり、切れない関係性で、人の世を生きる人間の特質なのだと考えています。 またひとつ素晴らしい感動を頂きました。ありがとうございました。
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ありがとうございます。お言葉、心に染み入ります。 京子の泣いている姿が、書いている間ずっと、脳裏に浮かんでいたのです。 感想を頂いたとき、書かれている以上の何かを、読みって下さった感触がありました。 キラキラの場面は、この作品の中で、最も気を遣った表現です。 静かな展開の中で、どこまで書けるかを、自分に課した作品でもあったのです。 公開直後、揺さんが、これは本当に読み手を選ぶ作品ねと仰ったのが印象深く残っています。 マジシャンさんに、深く読みとり感じて頂けまして、大変満足しております。  
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ご謙遜です。この作品の素晴らしさを解らぬような者は、作品を無理して書くべきではありません。成熟するまで時期を待つべきです。純文学とは何か? 様式美を踏まえつつ、受け狙いを排し、商業的な功利をも超えて純粋に芸術性を追求した作品です。純文学作品とは、どのようなものですかと問われたなら、迷わず『夾竹桃の朝』を案内します。

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