ンバ(幽霊)

至高のヤンデレここにあり
世間一般で言われる「ヤンデレ」のキャラクターを連想すると、漠然と返り血を浴びているイメージが浮かぶ。ある個人(多くは主人公)に対する過度な愛情を成就させんと万難を排除していくその行程に、どこまでも独善的な暴力が介在する……という印象。時には愛する対象すら傷つける事も辞さないエゴイズムの塊。もはや病気である、ゆえに病んデレ。 だが今作のヒロインである八見レイラは、ステレオタイプの「ヤンデレ」とは毛色が異なる。彼女は「自分に興味を抱かない人間」にしか興味を抱かないのだ。相手方にはきちんとしたパートナーがいる前提で、伴侶以外に目移りしない倫理観等、理想の王子像を追求する。彼女の攻撃性は、その「育成」過程を妨害する者に向けられている。 成立しない問答も、ぱっと見意味不明な行動も、その一つ一つに意味があり、最後の10ページくらいでレイラの真意が全て詳らかにされるのだが……誇張表現ではなく、総毛立つ。劇場型犯罪をリアルタイムで追ってると、こんな気分になるのかもしれない。やっている事自体は悍ましいが、確固たる信念に裏打ちされた、崇高さと美しさがあった。 彼女の言動は底が見えない、しかし気付けば終始ペースを握られている。不思議系キャラに見えるが、極めて高い知性と実現力の持ち主だ。 ストーリーテラーの麻生浚さんは当初彼女を「八見さん」と呼ぶも、いつのまにか「レイラ」と呼ぶようになっているが、この演出にハッ……とさせられてしまう。心にするりと忍び込んで来て、いつのまにか深々と根を下ろしているような、そんな人物である事を否応無しに認識させられるのである。 物語は浚さんの視点で綴られるわけだが、彼にもけっこう「ん?」と思うところが散見されて、世間一般の価値観や感性みたいなものから、わずかな隔たりを感じた。「普通」の人は、岡崎さんみたいな感じの扱いを受けるだろう。浚さんとレイラと惹かれ合ったのは、必然だったのかもしれない。 また、〝しゅん〟の字が「俊傑」の方じゃなくて「浚う」なのが興味深い。コミカライズ版は「俊」になっているけれど、従来のヤンデレの一要素である、「浚う=暴力による略奪」からの脱却、レイラの理想像とは真逆の意を敢えて王子役の名に冠するという、皮肉が込められているのではないか。 他にも語りたい事が沢山あるけれど文字数が足りない。とにかく、圧倒されっぱなしでした。
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