コタツの猟犬

人間の能力の問題もあるかなと
非常に分かり易い例え話で、なるほどと思う事が多々ありました。 批判だととらないで頂きたいのですが、人には能力の容量差があるかと思います。 私はある習い事をしていたのですが、正直な話、人よりもかなり才に恵まれました。それこそ教わっていた先生のよりも遥かに。 で、かなり長い年数やっていたので、私も指導に加わり、子供達に教えることになったのですが、指導の才能も師よりも遥かにありました。 で、ハッキリ言って、私の師は本来はあらゆる才能や能力が普通の方よりもかなり劣っていました。 が、しかし、この師は普通の指導者よりも多くの能力が高かったので、それが、助長することにもなってたと思います。 何故かと言えば、この師が教わっていた師が圧倒的に素晴らしい師匠だったから。 その師がいかに能力のない自分を育てる為に、あらゆる練習を工夫していたかという事が『自分に才が無い』ということをしっかりと認識していない為、あらゆことが全く理解が出来ていない。 で、教わっていた師が如何に凄い方だったのかを、私にはかつてしていた練習メニューを聞いただけで、理解できてしまいました。 長くなってしまいましたが、私が何が言いたいのかと言えば、 この様な人間にそれを理解させあたらめるには莫大な時間と労力が必要だという事と、日本の学校教育が優れてないのではなく、優れている部分が多いシステムだからこそ、無能な教育者達でもやれてしまっている事が問題の本質だという事です。 でですね、そういう人間達を改革とかってのは非常に労力を有するし、ストレスがばかり掛かります。なので、あたらに生み出してしまうか、追加してしまう方が余程建設的だと思うのです。事業中にタブレット端末の使用をオッケーにして貰うとか。 皆と一緒にはいるけど、やってることは全然違うとかでもいいと思うのです。テスト対策は範囲が分かってればそれでいいので、授業中、黒板ではなく手元端末とかで自分のペースで学べばいいかなと。 (これはあくまでも一例ですよ?)そういうことを認めさせる為に労力を使う方がストレスがないと思うのですがどうでしょう。
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-コタツの猟犬様へ- ご感想有難う御座います。 聞こえない子供の為にあるはずの聴覚支援学校が、なぜ手話を使う事を禁止したり、聞こえる者に合わせようと無理を強いるのか……その一つに、教師の勤務体系があるように思えます。 日本には今、公立、私立を合わせて106校の聴覚支援学校がありますけど、授業の全てを日本手話で行い、ろう者の文化を正しく伝えている学校は『私立明晴学園』1校しかありません。 他の学校も、出来る限り手話を取り入れてくれてたり、タブレット端末を取り入れたりと努力して下さっていますけど、その殆どが『私立』の学校になります……。 『公立学校の教師』が『私立学校の教師』に比べ、障碍者
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真摯な返信をありがとうございます。 そして、申し訳ないです。文面からそういった背景を読み取ることが出来ませんでした。 聴覚支援学校に赴任する教師は、スペシャリストが来て、 その中での質の良い悪い(上手い下手)があるとかではなく、そもそもど素人が赴任して来てしまう事が問題の根底になっているのですね。 人事の問題もあって、結局足掛けや腰掛けが来てしまったりと。 私立には優秀な人が多くてもお金もかかるから誰でも行けるわけではないだろうし。 そういった多くの事情から、これを無くすことは出来ないでしょうし。 あくまでも素人考えではありますが、素人を赴任させるにしても、最低限パソコン(など)を扱える人を

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