収束点、前夜
 プロフェッショナルの世界は厳しい。求められるものが常に「最高の結果」である以上、それを提供出来ないーー要件を満たさないーー者は使われないし、将来の可能性がないと見なされれば待機要員として残ることさえ許されない。  主人公は戦力外通告を受け、トライアウトに臨むことになる。彼は過去を振り返り、もっと真剣にやっていたら結果は違っていたかもしれないと後悔するが、果たしてそうだろうか? 一人称で語られる主人公の反省ほど努力が足りなかったわけでもないし、不真面目だったわけでもないだろう。  友人達や球団の人々が、それぞれの立場でときに冷徹な態度を取りながらも応援し手を貸してくれるのは、彼がこれまで真剣に打ち込んできた過程を知って、それをプロのあるべき姿として評価し、尊敬の念を抱いているからではないだろうか。  才能も努力も運も、すべてを兼ね備えていてさえ、報われないことがあるのがプロの世界だろう。主人公はライバルとの差が開いたことを嘆くが、情熱や努力にさほど差があったとは思えないし、彼我の立場はいつだって逆転されていた可能性がある。だからこそ二宮は最後の勝負を受けてくれたのではないだろうか。  主人公にとって野球は人生そのものだ。戦力外通告によってトライアウトという一点に向け、彼の人生に、友人やライバル、球団関係者との繋がりのすべてが縒り合わさり、収束していくことになる。結果の如何にかかわらず、彼の人生はいちど終わりを迎えるのだ。  トライアウトは、終了した人生を再生させるための儀式ではないだろうか。ならばその前夜に用意されたライバルとの対決は、彼にとって最高の花向けとなるだろう。  クライマックスのその先に、何が待ち受けているのかは誰にも分からない。だが周囲の人々の思いと縒り合わさり、収束してきた人生は、結果がどうであれ、そこでぷつりと切れることはないだろう。再生を果たした後には、未来がいく筋もの可能性となって、彼を待ち受けているのだから。
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