小池正浩

 少し長めの休止期間があって結果よかったかもしれません。自作の「再建されたバベルの塔の密室」、致命的欠陥が見つかりました。あぶなかった。そのまま突き進んでいれば、危うく解答編途中で破綻するところでした。フィクション、しかも虚構性も人工性もとくに高い本格ミステリー/推理小説なので、多少のむり矛盾はかならずしも瑕疵になるわけではないとはいえ。まあでも、一部を構想しなおしたことで、一作目と同様に複雑な、ひねりというより歪みをくわえられそうです。  だいたい前作でも、主題が革命or暗殺だからと参考のためサルトルの戯曲まで目を通したのに、ほんとうはカミュを参照すべきだったことにあとで気づくという……うっかりミス。それに、そもそもの連作テーマである天城一に倣って、もっと短くぎゅっと圧縮した内容と量にしたいのに、凝れば凝るほど、こまかくすればするほど長くなってしまう。  あらためてというか、次の作家論・作品論の執筆に備え、ある作者のあるパズラー系作品をすべて読みなおしていたこともあって再確認させられたのが、やっぱり本格ものはむずかしいなと。緻密に計算し構築するにせよ故意に形式破壊するにせよ、論理的に物語を紡ぐのはいろいろと困難ですよね。それだけに作り手としてはやりがいも満足もあるのですが反面、完成後に受け手の即応的なレスポンスは皆無に等しく、費やした思索の時間やエネルギーに比して満足できる手ごたえも報いもほとんどない。評価の面だけじゃなく、先をつづけるため過去作を越えるため、みずからさらなるハードルや制約を課すわけですから、よけい精神力も技術力も要求されるのにもかかわらず。  近年、定期的に鮎川哲也とか泡坂妻夫とか往年の本格派作品が新装版などで、既読のクイーンやクリスティなどが新訳で復刊されたりするのがうれしくてついつい購入しすぎ、影響も受けすぎ困っちゃいます。天城一もそのひとりですが、いま自分のなかでとくべつ大きいのが山沢晴雄。  先日、噂のリレー小説『むかで横丁』を読んだんですけど、いやあ聞きし勝る手のこんだ解、メチャクチャおもしろかった。何年か前に日本評論社出版、日下三蔵編の『離れた家』を読んだときから凄い凄いとはおもってときどき再読もしていましたが、創元推理文庫から戸田和光編で『死の黙劇』『ダミー・プロット』とつづけて二冊も通読できたのは幸せでした。幸福でもあり幸運でも。
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