@小池正浩:  春妃さん、夜分遅くにこんばんはです。いえ、もう未明近いのでおはようございます、かな。朝晩はけっこう冷えるのに日中はなぜかまだ暑いというこの頃いかがお過ごしでしょうか、今週はまだ仕事中ずっと半袖で過ごした小池です。  相変わらずのうっとうしい修正コメント、失礼しました。『ハニブラ』のクライマックスが加筆訂正されたのことで、読みなおしたついでに、まあついでにといったらこれまた失礼で申し訳ないですが、報告させてもらったしだいです。「粗増し」については、僕は「あらまし」の漢字を知らず、どうなのかなとおもってちょっと調べてみただけですので、正確性にはちと欠けます。だから、あんまりお気になさらず。  本格的な論評は『オルタナ批評』のほうに再度追記を書きましたのでそちらに目を通していただくとして、ここではごくごくかんたんな感想だけ。  織田っちの対峙もとい退治のしかた、めっちゃグレードアップしてるじゃないですか! 19章のみですがあらためて再拝読したら、めっちゃおもしろかったです。ハラハラドキドキしました。『ハニブラ』のキーである血を、吸血鬼の法則をたくみに、ああいうふうに応用してつかうなんて、春妃さん、うまい&にくいですね。サスペンス要素も増し、サプライズ感も増し増し、作品テーマもより強化されて完成度が増しましたね。  春妃さんは「時間の都合的に谷まで行って間に合うのか」と気になさってましたが、あくまで僕個人の感覚的にはですが、作中時間の流れは構成的にうまく繋げられ、かつ圧縮されていて読んでいるほうはさほど気にはなりませんでしたよ。「どう考えても夕方は道が混むだろ」だとか、まったくおもいもしないですって。ひょっとして最近の僕の辛口多めな論調の傾向から、舌鋒鋭く責め立てられるとおもわれましたか(笑)  もし春妃さんのなかで納得いってないということでしたら、すでに過去の谷でのあの時点で、織田っちも姿を消したという不安材料がもともとあったことですし、例のアイテムをもらっていた(しかも予備としてふたつ)ということにしてもよかったかもしれませんね。そしたら血液の酸化という問題も(たとえ数時間でも完全な密封はどんな容器でもむずかしいですし血中には凝固因子が存在するためツッコミどころはあるので)、特殊なものだということでクリアできるかもです。  すみません、長くなります。
小池正浩
 僕がむしろ気になったのは、主人公がとらされた姿の必然性でしょうか。織田っちにそういうフェチがあったという設定でないと、ちょっと不自然かも。なぜ全部はじめから脱がせなかったのか、ネックレスもふくめ脱がせたときにいろいろ気づいてもおかしくなかったのでは? 等々。そのあたりの疑問を考慮すると、もしかしたら服をじょじょに剥がされていくとかでもよかったのかなあとおもったりも。  といっても、いっておきながらあれですけど、春妃さん、こちらもあまりそんなにお気になさらず。流れ的にも絵的にも、そこまで不自然な印象を強くあたえるといったわけではないので。あとでのあの意外な倒す方法をおもうと、場合によっては
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 春妃さん、夜分遅くにこんばんはです。いえ、もう未明近いのでおはようございます、かな。朝晩はけっこう冷えるのに日中はなぜかまだ暑いというこの頃いかがお過ごしでしょうか、今週はまだ仕事中ずっと半袖で過ごした小池です。  相変わらずのうっとうしい修正コメント、失礼しました。『ハニブラ』のクライマックスが加筆訂正されたのことで、読みなおしたついでに、まあついでにといったらこれまた失礼で申し訳ないですが、報告させてもらったしだいです。「粗増し」については、僕は「あらまし」の漢字を知らず、どうなのかなとおもってちょっと調べてみただけですので、正確性にはちと欠けます。だから、あんまりお気になさらず。
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 そう、意外と知られていない気がするんですよ。  ああ、ちょっと残念ですね、おしい。でもまあ、イヴェントでお疲れになるかともおもいますし、べつのときにでもぜひ。  上のお子さんといっしょにっていうのもいいかも、入館料も「えっ、ほんとにいいの!」ってくらい良心的ですし、とオススメしたいところではあるんですけど、あそこ、けっこうリアルすぎる演出が多々あって、まあ本物の戦争関連資料や再現された模造物があるからこそ、入館者にじかに体験させ実感させるからいいし意味もあるんですけど、まだ小さい子どもだとトラウマ級の恐怖体験になっちゃう可能性はいなめませんね。だから強くは勧められませんが、お子さん連れ
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@真辻春妃@新作執筆中:小池さん、こんにちは❣️(*≧∀≦*)ノ✨ 昨日は拙作【天使のささやき】と【ひそむ悪気】の2作品を論じていただき、誠にありがとうございました♡インターネットに基づいた考えや解釈の仕方等を読み、なるほどなるほどと改めて勉強させていただきました。天ささで書いた『願いのシンクロナイズ』は正しくメタフィクションを採用し、なおかつ書く気が起こらなくなった物語のネタをストーリーの中に組み込んだものです。上手く使えたようで良かったです🎶7話を書いていて、想いの糸出せないなぁと思っていたので、小池さんが書かれた解釈を読んでなるほどと目から鱗な気分になりました。 ひそむ悪気は、私自身も登場人物少ないなーと思っていました。書き終わってからたっちゃんの彼女とか出した方が良かったかな?とも思ったのですが、そうなると物語がまた別ルートに展開しておかしくなるなぁ、と。あれ、元々は妄想コンテストの黒に応募するつもりだったのですが、締め切りに間に合わないのと、8000文字に収まらないということで中編になったやつなのです(笑) そして次作、そろそろ本腰入れて取り掛かりたいのに中々そうできずに時間だけが過ぎています💦 小池さんの評論を読ませていただいて、元気をもらえましたし✨また日記エッセイも書こうと考えています(*´∀`*)いつもいつも、本当にありがとうございます💕
小池正浩
 春妃さん、タイムループじゃんこれじゃまた夏がやってくるのかよってくらい残暑とはいえない猛暑の日々いかがお過ごしでしょうか、小池です。  できるだけ早くっていうのがもっかの方針なので、今回の批評も休みを利用し一日で一気に書き上げたということもあり、正直まだまだ論じたりないところがあるんですよね。『ひそむ悪鬼』が母親の二十三回忌からはじまっていたのも物語の導入というだけじゃなく、ラストに主人公がたすかる伏線にもちゃんとなっているという、じつは技巧的なものであるとか。  連作の『天使のささやき』なんか各話ごと個別に評したかったのですが、革新批評は作り手や読んだあとの受け手に向けてのみならず、
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 春妃さん、んちゃ! です。ノリで意味なくアラレちゃんふうにいってみた小池です。ただ単純にすげーいいもん読んだーとおもったからスターギフトしただけですので、お気になさらず。  春妃さんのねらいどおり、まあ僕みたいなのだけがターゲットの読者層じゃないにしろ、あのマンガ創作のディスカッションしているパートが『天使のささやき』の話中、もっとも個人的に興奮したくだりでした。めっちゃおもしろかったー。なので、あのエピソードのあのあたりがいちばん好きだったりします。  頼む、たすかってくれーって、第七話に出てきた男の子にはけっこう感情移入させられましたね。作者をほんのちょっぴり恨みもしましたよ。なん
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 春妃さん、こんばんはです。このたびは受賞おめでとうございます。  いえいえ、僕のほうも、あ、僕とは小池です、まだ名のってなかったですね、ま、この場では名のる必要もないのですが、むしろこのタイミングで名のると変ですし、まるで多重人格みたいですが、ともかく僕のほうも春妃さんにはいの一番にお祝いをいいたかったんですよ。でもタイミングが悪かったというか、台風がきていましたし、僕はぜんぜん大丈夫だったのですが、春妃さんの状況がわからないので、いちおう自粛みたいな感じでいたんです。春妃さんのつぶやきに、いいねだけしておいたのもそのためです。  あとは、まあ、もはや遠い存在になったといいますか、ます
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 こんばんはです、春妃さん。暑すぎて先日つい日中ガリガリくん梨味を4本も食べた、もはやガリガリくん小池といっても過言ではない小池です。もとからフルーツのなかでは梨とスイカがツートップで好きなもので、だからガリガリくん梨味(というか、あくまで風味でしかないですけど)の発売がもう、うれしくておいしくて。  と、そんなことはどうでもよくてですね、たいへん遅くなりましたが、「エブリスタ小説大賞2023 集英社 少女・女性向けコミック全レーベル合同マンガ原作賞」の「時代・ファンタジーマンガ原作部門」の最終候補に、春妃さんの傑作長篇『吸血少女はハニーブラッドをご所望です(改訂版)』が選出されていたとい
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@小池正浩:  どうも春妃さん、こんにちはです。またも自分勝手に評論なんか書いちゃいました、冷奴だけでも白ご飯食べれる豆腐大好き小池です。  傑作『シングルマザーの私が学生と恋、するんですか?』をオルタナ批評でとりあげさせてもらうにあたって、今回は作家・作品論のほうで倍の分量ぐらいかけて論じようかなとも完結後しばらくずっと思案していたのですが、それだとどうしても時間が掛かるし発表が遅くなってしまいがちだしなあと、ならそれよりはリアクションの速さ、即応性や柔軟性をコンセプトに実践している「革新的新文学」のほうがいいのではないかと判断し、ピンポイントにしぼって分析してみた次第です。ほんとうは、今日つぶやきで挙げた春日武彦の文芸批評に倣って、エッセイふうに僕の超個人的なエピソードトーク、両親が離婚再婚していて義理の親に育てられた経験とか感想なんかも織りまぜ、よりいっそうやりたい放題やってみようかなとも画策していたんですけどね。  そうですか。不要なエピソードって春妃さんの作品とくに長篇中篇の場合、そんなにないけどなあと僕なんかは考えます。いろんな長篇小説を読み慣れている僕からしたら、もうぜんぜん、長篇作品ってあんなもんじゃないですか、どんどん枝葉が拡がるというか脱線大歓迎というか、いつもむしろもっとエピがあってもいいのにっておもうくらい、もっと長大に膨らんでもいいとさえ春妃さんには期待&希望していますよ、僕は。  颯太の遺伝子上の父親はべつだん出てくる必要性はなかったとおもいます。ほかの人物とディスコミュニケーションや決定的亀裂があれば。それに仮に登場させたとしても、春妃さんは優しいから最終的にあの屑キャラとも和解させてしまう気がします、たぶん(笑)。だって屑はきっといつまで経っても屑のままでしょうし、へたにゆるされたり半端に反省されたりなんかしたら納得がいきません、僕が(笑)。  いやわかりますよ、僕だって年上女性と年下男性のカップリング、じゃなかった作中作だったりモキュメンタリーだったりにわくわくドキドキしますもん。こだわりや好みが人それぞれ、作り手であれ受け手であれ、何かあったりしますよね。ですから連作『天使のささやき』、再読した回の話もけっこう久々だったのであらためておもしろかったんですが、書き下ろしの新エピソードがはじまりメチャクチャたのしませてもらっています。
小池正浩
 こんばんは、春妃さん。気づけば気にせず昨日今日と二日つづけて担々麺を食べたくらいラーメン大好き、いえ、麺類全般大好き小池です。ちなみにどうでもいい情報2、ただそのままのキュウリでもマヨネーズたっぷりつけただけで白ご飯いけます。  僕の生い立ちはともかくいいたかったことは、批評内でも論の流れから省いちゃいましたけど、春妃さんの『シン恋』の主人公たちとおなじ境遇であっても現実社会では、恋人ができたら母親や相手が子どもをネグレクトしたり暴力ふるったりして虐待し、果ては死にまで追いやってしまう最悪なケースも多々ありますよねってことです。颯太や僕とかは幸いそうはならなかったですし、沙耶と仁をはじめ
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 どうも春妃さん、こんにちはです。またも自分勝手に評論なんか書いちゃいました、冷奴だけでも白ご飯食べれる豆腐大好き小池です。  傑作『シングルマザーの私が学生と恋、するんですか?』をオルタナ批評でとりあげさせてもらうにあたって、今回は作家・作品論のほうで倍の分量ぐらいかけて論じようかなとも完結後しばらくずっと思案していたのですが、それだとどうしても時間が掛かるし発表が遅くなってしまいがちだしなあと、ならそれよりはリアクションの速さ、即応性や柔軟性をコンセプトに実践している「革新的新文学」のほうがいいのではないかと判断し、ピンポイントにしぼって分析してみた次第です。ほんとうは、今日つぶやきで
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@真辻春妃@新作執筆中:小池さん、おはようございます⸜(๑⃙⃘'ᗜ'๑⃙⃘)⸝✨昨夜は励ましのコメントをいただき、ありがとうございます♡ あのどうでもいいエッセイを読んでもらえたばかりか、それに関して親身にアドバイスしていただき、めちゃくちゃ嬉しいです🥹✨ そうなんですよね。今創作迷子になってるような状態でいまいち書きたいものが定まっていなくて。でも、何か決めてぼちぼち書いてる生活を送っていないとストレスが溜まりそうで💦 楽しみが長く続くようにいつも長編思考になり、今回、過去に書き留めたアイディアを引っ張り出してあれこれと試行錯誤したものの、やっぱりコレじゃない、とボツを量産しています。汗💦 ようやくと言うか、長いブランクを経てアルバイトを始めるので小説はしばらくお休み、と決めていたんですけどね。もう退屈で退屈で(-_-;)このような事態に。 小池さんからの要望、とても嬉しいです🎶漫画家志望と考え、私のしょうもない頭は当初、小畑健さん作画のバクマンが思い浮かんだのですが。それでは私の色にはならないと思い、既存作のスピンオフとして構想するのも楽しそうだなぁ…✨と今朝になり思い至りました。モチベーション的に面白く考えられるかはわかりませんが、中編ぐらいの長さで一度作ってみようかな、と٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ 上手くできたら既存作を全て合わせた一冊にまとめようと思います。 いつも私の勝手気ままな創作にお付き合いくださり、また親身に気にかけていただき、ありがとうございます🥹❤️小池さんにはいつも助けてもらっていますね💦情けないながらも、感謝でいっぱいです✨ 今後も楽しく創作できるように、頭フル回転でやっていきます(笑)
小池正浩
 つづきです。連投、失礼します。  とりあえず現段階で、何が何でもいますぐにでも書籍化デビューを目指したいっていうわけでもないのなら、いまはのんびり春妃さんが書きたいと素直に、好きに感じるものをむりせず書くことに集中すればいいのではないでしょうか。夢中になれば、なれればそれがいちばんですし、テーマとかモチーフとか題材とかは何でもいい、何でもありのスタンスでいいじゃないですか。自由で。  春妃さんはたしか、ホラーも好きでしたよね、だけどいかにもホラーな作品は書いてなかったように見受けられます、ということでホラーを春妃さんの好きなように、しかも恋愛要素もありでとか、たとえばいかがでしょう。べ
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@真辻春妃@新作執筆中:小池さん、おはようございます⸜(๑⃙⃘'ᗜ'๑⃙⃘)⸝✨昨夜は励ましのコメントをいただき、ありがとうございます♡ あのどうでもいいエッセイを読んでもらえたばかりか、それに関して親身にアドバイスしていただき、めちゃくちゃ嬉しいです🥹✨ そうなんですよね。今創作迷子になってるような状態でいまいち書きたいものが定まっていなくて。でも、何か決めてぼちぼち書いてる生活を送っていないとストレスが溜まりそうで💦 楽しみが長く続くようにいつも長編思考になり、今回、過去に書き留めたアイディアを引っ張り出してあれこれと試行錯誤したものの、やっぱりコレじゃない、とボツを量産しています。汗💦 ようやくと言うか、長いブランクを経てアルバイトを始めるので小説はしばらくお休み、と決めていたんですけどね。もう退屈で退屈で(-_-;)このような事態に。 小池さんからの要望、とても嬉しいです🎶漫画家志望と考え、私のしょうもない頭は当初、小畑健さん作画のバクマンが思い浮かんだのですが。それでは私の色にはならないと思い、既存作のスピンオフとして構想するのも楽しそうだなぁ…✨と今朝になり思い至りました。モチベーション的に面白く考えられるかはわかりませんが、中編ぐらいの長さで一度作ってみようかな、と٩(๑❛ᴗ❛๑)۶ 上手くできたら既存作を全て合わせた一冊にまとめようと思います。 いつも私の勝手気ままな創作にお付き合いくださり、また親身に気にかけていただき、ありがとうございます🥹❤️小池さんにはいつも助けてもらっていますね💦情けないながらも、感謝でいっぱいです✨ 今後も楽しく創作できるように、頭フル回転でやっていきます(笑)
小池正浩
 いえいえ、春妃さん、僕も完全に『バクマン。』が真っ先に頭に浮かんじゃいましたよ(笑)でも──ってまあ読んだことも実写を観たこともないので断言はできないですが、あれはマンガのなかでマンガを描くというメタフィクション構造のはずなので、もし春妃さんが小説のなかでマンガをあつかうなら、まったく別物の別表現になるかと。  物書きの人って気づけば、ありとあらゆることをネタにしだすとよくいいますよね。咄家とか芸人とかも。見聞きしたこと知っていること、挙げ句、自分が経験したこと人生で起きた出来事の何もかも、成功例も失敗談も見境なく貪欲に、あっ、ラッキー、これ、つかえるじゃんって。  ですので、春妃さん
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 春妃さん、どうも。時候の挨拶抜きでさっそく本題をお話しさせていただきます小池です。  本日エッセイを拝読したところ、どうやら次作の執筆に悩まれているということでしたので、僭越ながらというか、ほんとうに偉そうで申し訳ないんですけど、ちょっとだけ僕におもうところを勝手に喋らせてください。といっても、あくまで他人の無責任な意見のほんのワンオブゼムだと軽く聞き流す程度、それこそスルー推奨でお願いします。  長年それなりの数量と種類を読んできた人間のいうことだとこれは受けとってほしいのですが、春妃さんは書き手としてまちがいなく長篇作品を書くことのできるたしかな伎倆の持ち主だと、読み手のひとりとし
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@小池正浩:  春妃さん、こんばんはです。「おはようございます」とコメントいただいたのに申し訳ない、もう日が暮れちゃって暮れちゃって。  ぜんぜんレヴューらしからぬむちゃなレヴュー、怒られるの覚悟で書いたので、春妃さんにおもしろがっていただけてよかった。作中にはたしか、チラシの内容は詳しく記述されていなかったようにおもうので、それっぽく製作してみましたが……ほんとうにまったく作品紹介にも感想にすらもなってない始末。まあ、ちょこっとだけ、らしいのも下のほうにあるといえばあるのですが……いちおう話のなかで「よろず屋RKR」の宣伝に載っていたと語られていた単語の類いは全部、工夫して入れときましたーって、どうでもいいですね、そんなの、そんなところにばっかり凝るなよっていう。  こちらこそありがとうございます。相も変わらず僕の、やりたい放題でハチャメチャな、批評やレヴューやお気に入りリストなどなど勝手な解釈に対し、おもいっきり放任し自由にさせてくださって、ほんとうに寛大なお心遣いに感謝します。日記エッセイに掲載の件、もちろんごっそりオールOKです。というか、拙文を紹介してくださったおかげで、さっそくすでに何人か、春妃さんのファン読者やクリエ仲間の方に目を通していただいているみたいですよ。なんかペコメまでご丁寧に書いてくださっている方もいらっしゃいますので、内容は本作品にかんすることですし、ふだん僕はお礼も返信コメントもしない失礼なやつっていうこともありますしってことで、お手数ですが春妃さんにはまた一度チェックしていただいたほうがいいかも、とも。  読解の参照とかヒントに拙論がなりうるかもしれないっていうのは、すごくありがたいことですね。すごくエキサイティングで、ハプニング的な、イヴェントかつすごく貴重な縁でも。本題の小説といっしょにそれを対象とした評論も同時に受容してもらうってのは、理想的な創作活動のひとつの形だともやっぱりおもいますし。  創作の糧に少しでもなれば、と願っていつも試行錯誤し考え考え書いているところもあるので、春妃さんみたいに作者の方によろこんでもらえると正直、素直に僕もうれしくなりますね。  次回作もたのしみにしています。気長に、気楽に、おたがい活動していきましょう。  それでは。
小池正浩
 おお、ではHappy Birthday To You!(少し早いかもですが、いや早いのでしょうが)  春妃さんにとってまたこの一年が新しく楽しい日々でありますように。
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 春妃さん、こんばんはです。「おはようございます」とコメントいただいたのに申し訳ない、もう日が暮れちゃって暮れちゃって。  ぜんぜんレヴューらしからぬむちゃなレヴュー、怒られるの覚悟で書いたので、春妃さんにおもしろがっていただけてよかった。作中にはたしか、チラシの内容は詳しく記述されていなかったようにおもうので、それっぽく製作してみましたが……ほんとうにまったく作品紹介にも感想にすらもなってない始末。まあ、ちょこっとだけ、らしいのも下のほうにあるといえばあるのですが……いちおう話のなかで「よろず屋RKR」の宣伝に載っていたと語られていた単語の類いは全部、工夫して入れときましたーって、どうで
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 春野さん、益々ご健筆のようで拝見するたび毎回たのしませていただいております小池です。  太宰治賞を落選されたということで……それは残念でしたね。いま確認してみると、審査員がけっこういいメンツなんでなおさら残念におもいます。まあ下読みに一次の段階で選別されてしまってはどうしようもないですがね、いち読者として『犬』は好きな作品なんで、だから僕は納得してません(笑)。ぜひ奥泉光あたりには読んでほしかったなあ。  春野さんのおっしゃること、どこまで正確に理解できてるかわからないですが、テーマとして核にある「哲学的なミステリー要素」の部分は文句なくよかったと僕はおもうんですよ。ただ、おっしゃるところの
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 春妃さん、どうもです。連載長篇二作とも、毎日たのしませてもらっています小池です。  よかったんですよ、ご返答なんかしてくださらなくて。そして、よかったです、いらぬお世話ではなくて。  というのも誤字脱字や誤記矛盾などは、プロ作家の原稿や書籍化前提の作品でないかぎり、われわれアマチュアやセミプロの物書きは、校正のチェックをいつも自身でこつこつやるしかないわけで、僕のような無駄にひねくれ遅筆タイプはともかく、春妃さんみたいに書くのが早く平均執筆量も非常に多い健筆タイプの方は、ときにはどうしても気づかずにミスを見落としてしまったりすることもありますよね。ですから、ほかの人の小説を拝読していると
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@真辻春妃@新作執筆中:小池さん、こんにちは(*≧∀≦*)ノ✨真辻春妃です。拙作、【吸血少女はハニーブラッドをご所望です(改訂版)】にレビューを書いていただき、ありがとうございます♡オルタナティブ批評もありがたく読ませていただきました🥹✨読んでいて色々と納得した点も多く、そういえば自分は昔からゴシック的な音楽だったり漫画だったりイラストだったりが好きだったなぁと思い至りました。音楽ならベタベタのビジュアル系が大好きで、大衆受けするアイドルのJポップなどはあんまり……でした💦大好きな漫画家さんも白泉社の由貴香織里さんで、めちゃくちゃダークな作風なんですよね(笑)私の作品にそこを見出した小池さん、凄い‼️と思ってしまいました。 そして、ハニブラのラストで作者都合の展開、やはりバレてしまいましたか(汗)あの辺りはどう頑張ってもこれしか書けない💦となってああなってしまって……もっといいエピソードが浮かんだらまた修正してるかも、です(´・∀・`)♬ ともあれ、長編なのに詳細まで読み込んでくださっていて、とても嬉しかったです✨12月になり、冬休み、クリスマス、年末、と気持ちが忙しなく、ここのところ筆が止まっていますが……小池さんのレビューや評論をモチベーションにまた頑張ろうと思います❣️*\(^o^)/*
小池正浩
 こんにちは? こんばんは? ま、どちらかわかりませんし、どちらでもかまわないか、ということで曖昧に、どうも春妃さん。  ほんとうは『ハニブラ』は長篇なので、もっと作家論・作品論のほうでがっつりたっぷり批評したかったところなんですけどね、僕の都合のせいで今回もとくに大事なポイントだけにさせてもらいました。すずゑさんの矜持と愛情から滲みでる魅力や織田っちのじつにみごとなサイコパスっぷりについて考察を深めたい部分も、また深めがいも深める価値も充分たくさんあったはずなのはわかっているので、ほんとうにね、もうぜんぜん語りたりてないんですよ。言い訳が多いですね、でもやっぱり反省はしません(笑)いえ、
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 春妃さん、レヴュー&批評に対するご感想をありがとうございます。毎度毎度「大塚英志」とか無関係なワケわからん要素を引き合いにだしたり、エラソーに牽強附会な暴言暴論を書き散らしているだけなのに、ほんとうに広い優しい心で受けとめてくださり感謝しかありません。反省はしません(笑)  そうですね、べつにわざわざググらなくてもいいかとおもいますが、都築道夫、超凄い作家ですよ。オールジャンル長短篇、何でも量産した人ですし、僕も全部に目を通しているわけじゃないですが復刊された作品を読むかぎり、どれも驚異的におもしろい。しかも、どれもほかでは見たことないユニークな展開をするものばかり。一般に意外と知られてい
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@小池正浩:  こんばんは、春妃さん。そして、おひさしぶりです。  春妃さんの作品はよく拝見させてもらっていますし、僕のコメントや拙作に目をとおしてくださっていることも存じ上げてはいますが、ちょくせつこうしてやりとりするのはほんとうに、むっちゃおひさしぶりのような気がしますね。  ああ、僕に「さま」付けなんかしなくていいですよ。ネット上の作法みたいなものだとはいちおう知ってはいますが、どうも僕はむかしからそういうのは苦手で。ということで、春妃さんのことも気安く勝手にさん付けで呼ばせてもらっています。ペンネームの苗字部分をご変更されたようですので、失礼かとはおもいますが慣れ親しんだ下のお名前で。  そう、拙論のなかでも書いたとおり、春妃さんが活動再開されていらっしゃるようで、何より僕はそれがいちばんうれしかったんです。しかも変わらず、まあ変わらずっていったらこれも失礼かもしれませんけど、相変わらず春妃作品はおもしろい。春妃さんがいろいろ試行錯誤し、あれこれ熟慮を重ねて物語をつくっていらっしゃるというのは作品のクオリティから感じるし、僕のほうも超のつくマイペースながら持続的に創作も批評も鍛えてはいるつもりなので、ようやくまた春妃さんの小説を、さらには本格的に長篇も、いよいよそれなりには論じられるのではないかなあと。  だから感謝していただくほどのものかどうかはわかりませんが、僕なりにチャレンジさせてもらいますね。もし春妃さんのほうで「うん?」というような納得できない点などありましたら、お気を遣わずにどしどし反論してくださってけっこうですので。僕の批評が春妃さんの創作のお邪魔にならなければいいのですが……それだけが少し心配です。  これからも春妃さんの自由な楽しい創作を僕はとても楽しみにしています。
小池正浩
 春妃さん、「買い被り」なんかじゃないですよ、けしてけして。エラソーで自信過剰に聞こえるかもしれませんが、たしかな根拠はしっかりもっているんです僕は。  そうですね……春妃さんはいい作品の条件っていうか、特徴って何だとおもいます? まあ人によっていろいろでしょうけど、僕なりに端的にいうと、それは他者をいかにどれだけ刺戟するか、にあるとおもうんですね。他者を単純に読者と置き換えてもいいですが、ある作品がただおもしろいというだけじゃなく、もっとそれ以上の何か、容易には理解しがたいけれど無性になぜか気になる、だいたいは伝わっているし納得できるのだけれど謎が残る完璧にはすべて把握できない、でもわかり
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 こんばんは、春妃さん。そして、おひさしぶりです。  春妃さんの作品はよく拝見させてもらっていますし、僕のコメントや拙作に目をとおしてくださっていることも存じ上げてはいますが、ちょくせつこうしてやりとりするのはほんとうに、むっちゃおひさしぶりのような気がしますね。  ああ、僕に「さま」付けなんかしなくていいですよ。ネット上の作法みたいなものだとはいちおう知ってはいますが、どうも僕はむかしからそういうのは苦手で。ということで、春妃さんのことも気安く勝手にさん付けで呼ばせてもらっています。ペンネームの苗字部分をご変更されたようですので、失礼かとはおもいますが慣れ親しんだ下のお名前で。  そ
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@小池正浩:  よって、いまここで目の前にあってちょくせつ見も触れもする物質的なヒト・モノ・コトだけにかぎらず、言語や概念のように抽象的で記号化された情報というものも、人間にとってはひとしく実在しているものなのです。事物も情報もつまりは等価。これを換言すると、  情報=リアル  というふうにあらわせます。そしてここからが本題なのですが、人は誰しも物質的な世界だけでなく地続きで、抽象的な情報の世界でもリアルに生きているということ、それは原理的に、事実/真実/現実とデマや誤報やフェイクとを、容易には区別できないということを示唆します。峻別するのはむずかしい。もともと混在していて当然ですし、ほとんどの人にとって虚実も真偽も同質です。  くりかえしますが、情報は解答ではありません。原義的には本来リアルでさえもない。しかし情報はその性質上、事実や真実や現実を反映していると同時に、かつ同等に、デマや誤報やフェイクでさえもそもそもある。  さて、春野さんが再三にわたって批判されている「妄想」にまつわるお話、それから僕との「歴史の解釈」をめぐっての議論ですが、拗れに拗れて折り合いも決着もつかないのはこのあたりに起因するのではないでしょうか。  情報=妄想なんですよ、はなから極端な話。人によってはどんなものであれ情報は、解答にもなるし、リアルだし、妄想にもなりうるんです。いかに情報を解釈するか、いかにそこから解釈によって納得いく可能性(解答ではない)を導きだすか、解釈の施し方、精度、確度、そういった解釈する側の自覚や方法がもっとも大事なのであって、いかに情報の量や速度を増加させても、どれが正しいのか、どこまで確実なのか、しょっちゅう迷いますし、まちがうときはまちがう。  くわえて、人間は誰しも解釈せずにはいられない。謎を謎のままにしていられないから、自然と解釈してしまう。答えを決めたがる。こうなんだと納得しないと気がすまない。ためにあるいは、ほかの人間に解釈してもらう。  これを僕は要約して、物語化と称しています。物語を創作するのは、物書きだけではない。物語とは人間の認識のありかたなのですね。物語らざるをえないし、物語を受容したくてしょうがない。だからみんな、解答を得たくて真実を知りたくて、情報をもっともっと、と際限なく求めつづける。むさぼり溺れつづける、情報に。  つづきます。
小池正浩
 あらためて自分なりにまとめるとこうです。  春野さんも僕も、創作された作品に対しても歴史という学問に対しても、それぞれジャンルやレヴェルが異なるというだけで優劣はつけていない。しかし春野さんは調べることの重要性をとくに訴え、僕は考えることのほうをより重要視しています。春野さんは、ろくすっぽみずから調べもしないで「解釈」とはとうてい呼べないような「妄想」をひたすら垂れ流す人間に心底うんざりして。他方で僕は、そうした「妄想」が頻出することじたいは自然発生的な現象だからかまわないとして、問題はむしろ「解釈」をほとんどおこなわずに「解答」へ一目散に飛びつきやすくなっている現状にあり、「情報=解答
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@小池正浩:  よって、いまここで目の前にあってちょくせつ見も触れもする物質的なヒト・モノ・コトだけにかぎらず、言語や概念のように抽象的で記号化された情報というものも、人間にとってはひとしく実在しているものなのです。事物も情報もつまりは等価。これを換言すると、  情報=リアル  というふうにあらわせます。そしてここからが本題なのですが、人は誰しも物質的な世界だけでなく地続きで、抽象的な情報の世界でもリアルに生きているということ、それは原理的に、事実/真実/現実とデマや誤報やフェイクとを、容易には区別できないということを示唆します。峻別するのはむずかしい。もともと混在していて当然ですし、ほとんどの人にとって虚実も真偽も同質です。  くりかえしますが、情報は解答ではありません。原義的には本来リアルでさえもない。しかし情報はその性質上、事実や真実や現実を反映していると同時に、かつ同等に、デマや誤報やフェイクでさえもそもそもある。  さて、春野さんが再三にわたって批判されている「妄想」にまつわるお話、それから僕との「歴史の解釈」をめぐっての議論ですが、拗れに拗れて折り合いも決着もつかないのはこのあたりに起因するのではないでしょうか。  情報=妄想なんですよ、はなから極端な話。人によってはどんなものであれ情報は、解答にもなるし、リアルだし、妄想にもなりうるんです。いかに情報を解釈するか、いかにそこから解釈によって納得いく可能性(解答ではない)を導きだすか、解釈の施し方、精度、確度、そういった解釈する側の自覚や方法がもっとも大事なのであって、いかに情報の量や速度を増加させても、どれが正しいのか、どこまで確実なのか、しょっちゅう迷いますし、まちがうときはまちがう。  くわえて、人間は誰しも解釈せずにはいられない。謎を謎のままにしていられないから、自然と解釈してしまう。答えを決めたがる。こうなんだと納得しないと気がすまない。ためにあるいは、ほかの人間に解釈してもらう。  これを僕は要約して、物語化と称しています。物語を創作するのは、物書きだけではない。物語とは人間の認識のありかたなのですね。物語らざるをえないし、物語を受容したくてしょうがない。だからみんな、解答を得たくて真実を知りたくて、情報をもっともっと、と際限なく求めつづける。むさぼり溺れつづける、情報に。  つづきます。
小池正浩
 ようするに、おたがい相手に仮想敵を見ていたのではないかと。春野さんは文面からしてあきらかに僕の論説に過剰反応しているというか、どこか攻撃的というか、一貫して否定的な印象ですし、僕は春野さんにどうにか自分の考えをわかってもらおうと必死です。これでは、いつまで経っても話が噛みあうわけがない。  でもそれも、ある意味しかたないかなともおもいます。というのは、春野さんと僕のおのおのの「妄想」と「歴史の解釈」にかんする認識や評価は結局、それぞれ根本的なところで一致しない可能性が高いようにおもわれるからです。  なぜかというとですね、僕はけっこう「妄想」に寛容なんです。どんなつまらないくだらないも
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@小池正浩:  よって、いまここで目の前にあってちょくせつ見も触れもする物質的なヒト・モノ・コトだけにかぎらず、言語や概念のように抽象的で記号化された情報というものも、人間にとってはひとしく実在しているものなのです。事物も情報もつまりは等価。これを換言すると、  情報=リアル  というふうにあらわせます。そしてここからが本題なのですが、人は誰しも物質的な世界だけでなく地続きで、抽象的な情報の世界でもリアルに生きているということ、それは原理的に、事実/真実/現実とデマや誤報やフェイクとを、容易には区別できないということを示唆します。峻別するのはむずかしい。もともと混在していて当然ですし、ほとんどの人にとって虚実も真偽も同質です。  くりかえしますが、情報は解答ではありません。原義的には本来リアルでさえもない。しかし情報はその性質上、事実や真実や現実を反映していると同時に、かつ同等に、デマや誤報やフェイクでさえもそもそもある。  さて、春野さんが再三にわたって批判されている「妄想」にまつわるお話、それから僕との「歴史の解釈」をめぐっての議論ですが、拗れに拗れて折り合いも決着もつかないのはこのあたりに起因するのではないでしょうか。  情報=妄想なんですよ、はなから極端な話。人によってはどんなものであれ情報は、解答にもなるし、リアルだし、妄想にもなりうるんです。いかに情報を解釈するか、いかにそこから解釈によって納得いく可能性(解答ではない)を導きだすか、解釈の施し方、精度、確度、そういった解釈する側の自覚や方法がもっとも大事なのであって、いかに情報の量や速度を増加させても、どれが正しいのか、どこまで確実なのか、しょっちゅう迷いますし、まちがうときはまちがう。  くわえて、人間は誰しも解釈せずにはいられない。謎を謎のままにしていられないから、自然と解釈してしまう。答えを決めたがる。こうなんだと納得しないと気がすまない。ためにあるいは、ほかの人間に解釈してもらう。  これを僕は要約して、物語化と称しています。物語を創作するのは、物書きだけではない。物語とは人間の認識のありかたなのですね。物語らざるをえないし、物語を受容したくてしょうがない。だからみんな、解答を得たくて真実を知りたくて、情報をもっともっと、と際限なく求めつづける。むさぼり溺れつづける、情報に。  つづきます。
小池正浩
 歴史というものは謎が多い。だからこそ解釈を頻繁に誘発する。歴史家は生涯この謎に魅せられた人たちでしょう。ときに作家もまた魅了され、歴史物を創作する。どのように解釈するかという自覚や方法に差異があるだけであって、そこにもちろん優劣もなければ、解釈そのものに本質的なちがいはありません。学問的に体系化し客観性を重視するか、多少リスキーでも想像力で補い膨らますか、そういったヴェクトルの差があるだけでどちらが絶対的に正しいということもない。作家も案外、というか本気でそうかもしれないと仮定しながら真面目に創作しています。それをつかまえて「歴史の解釈」にあたいしないなどと、頭ごなしに全否定することはない
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@小池正浩:  では、春野さん、僕のほうのまとめを話しておきます。長くなりますが最後までお付き合いください。  情報過多、コミュニケーション過剰で性急すぎる世の中は、何でも時短でコスパのよいものばかり有益とされ、140文字以内で問題解決してくれるような説明が好まれる傾向にあります。その結果、  情報=解答  と無意識に思いこみ、勘違いし、調べることだけ癖づき、考えることを放棄した人が増えました。情報を知れば、解答を知れると。  情報は材料にすぎません、考えるための。かならず解読される必要性がある。たとえ情報=解答であったとしても、それは誰かが何かで記録した、他人の感じ方や考え方にすぎない。情報は情報、しかし生産、流通、消費される過程でまた情報は情報をとりこみ、メタ情報を再生産する。これは何もネットを介した情報のみの話ではありません。シンボリックな記号を操る人間の、人間社会の、普遍的な本質です。人間が人間であるかぎり、文化文明が誕生したはるかむかしから現在まで変わらず、口承が情報伝達の中心だった時代から文字、書物そしてマルチメディアにいたるまでずっと。  人はみずからが生でじかに見た聴いた触れたもの等々、知覚できた外界での体験がすべてというわけではありません。他者から伝えられる記憶、経験、知識などの、つまりは伝聞でも世界は構成されています。それがみんなのいう現実というもの、客観的事実というものです。  たとえば、文献資料は情報です。解答ではない。だから資料と資料をどれだけ大量の資料でつないでも、その間を、全体を、かならず解釈しなければならない。のみならず、根本的にその資料じたいをまず解釈しないといけない。それそのものだけで、真実性が保証されるものなどないのですから。  しかし、それが人間にとっては現実という認識を、客観的事実という感触を生むものです。疑おうとおもえば、いくらでも疑えます。信じることもできる。ウソかマコトか、どの程度ほんとうか。でも核心において人は、真実が存在するということじたいは動かしようもなく確信している。懐疑してはいない。そこはできない。というより、もとより伝聞という情報で人間の世界は成立しているのですから、信じるも信じないもありません、虚実あっても真偽が問われても、かならずどこかに真実というものがあるという実感だけは消せない。  つづきます。
小池正浩
 よって、いまここで目の前にあってちょくせつ見も触れもする物質的なヒト・モノ・コトだけにかぎらず、言語や概念のように抽象的で記号化された情報というものも、人間にとってはひとしく実在しているものなのです。事物も情報もつまりは等価。これを換言すると、  情報=リアル  というふうにあらわせます。そしてここからが本題なのですが、人は誰しも物質的な世界だけでなく地続きで、抽象的な情報の世界でもリアルに生きているということ、それは原理的に、事実/真実/現実とデマや誤報やフェイクとを、容易には区別できないということを示唆します。峻別するのはむずかしい。もともと混在していて当然ですし、ほとんどの人にと
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 では、春野さん、僕のほうのまとめを話しておきます。長くなりますが最後までお付き合いください。  情報過多、コミュニケーション過剰で性急すぎる世の中は、何でも時短でコスパのよいものばかり有益とされ、140文字以内で問題解決してくれるような説明が好まれる傾向にあります。その結果、  情報=解答  と無意識に思いこみ、勘違いし、調べることだけ癖づき、考えることを放棄した人が増えました。情報を知れば、解答を知れると。  情報は材料にすぎません、考えるための。かならず解読される必要性がある。たとえ情報=解答であったとしても、それは誰かが何かで記録した、他人の感じ方や考え方にすぎない。情報は情
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 わかりました。僕の揚げ足取りみたいなものでした。というより勇み足か。まあ、とにかく申し訳ありません。  歴史、歴史書、歴史物と、歴史にまつわる話というだけでジャンルやレヴェルの異なる対象を議論しているため、いろいろこみいってて、めちゃくちゃややこしくなっていますね。
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@小池正浩:  ここです。ここが春野さんと僕の噛みあわない最大のポイントです。春野さんのおっしゃっていることは概ね理解できているとおもうのですが、そのうえでいわせてもらうと、春野さんはおそらく僕の説明を創作論や作家的な認識のみのことだと受けとられているのかと。  本題に移る前にこのコメント欄では先に、傍証というか例証というか、まさしく実証的にいくつか具体例をまた引用しておきます。といってこれはべつに、他人の言葉を利用して安易にすませようというわけではけっしてありませんので。むしろ前提的な確認作業にすぎません。  歴史学者の青木和夫は対談中、松本清張にはっきり述べています。「先生のお話の中で、基本的に賛成したいのは、物語とか伝説とかを無視されない点です。歴史は冷たい客観的な文献の中だけにあるわけではない。人間くささの中にある。いわば人間の歴史とは、人間自身の自覚の過程だといいかえてもいいと思うんです」と。あるいはこうも。「学者だって人間ですからつい思い込みがあります。思い込みがあるのじゃないかと反省しつづけていると、ノイローゼになります」  それに対して松本清張は「文学と歴史というのは、これはまったく機能が別だと思うんですが、ただ歴史は今、青木さんがおっしゃったように、文献を基礎に学者が実証的にやっておられる。われわれはその業績の上に乗っかって、簡単にいえば、そこから推理するわけです。いい言葉でいえば史眼でもって推理する。小説家の勝手気ままな空想や憶測ではないものにしたいのです。これが一見実証的な歴史から離れていくようだが、根や尾はそれから曳いている。そういう性質のものが歴史の文学方法と思います。わたしがいうのは、きちんとした文献上の実績を勉強して、そこから伸ばすというもんでなきゃいけないということです。そこから遊離したものならこれはまったく話になりません、空想小説になっちゃうから。そして、その歴史上の推理なるものが、万人が全部従うとはいえないまでも、そういうことをいわれてみると、そうも考えられるという合理性がなきゃいかん。その説にそれなりの説得性をもっているということが、文学におけるリアリティと通じるものがあると思うんです」と語る。  ね、春野さん。すべてまんまとまではいえないにしろ、春野さんと僕双方のいいぶんをまとめて代弁しているところありませんか。  つづきます。
小池正浩
 と、いまちょうど前文のつづきを書いていると、春野さんからご返答が届きました。  ああ、ならすみません、そういうことでしたら僕もほとんど同意見なので、この欄で書くことも書く必要性もこれ以上はなくなっちゃいました。しかし、いちおう述べておくとですね──。  青木和夫は松本清張の発言を受け、率直に自分の胸のうちを明かしています。「私も先生のお気持ちよくわかった気がするんです。先生は一番最初は鷗外から始めておられるけれど、鷗外の場合だったら「歴史其儘と歴史離れ」という随筆で、一番苦労した所をボシっと出した。松本先生の段階になりますと、歴史学者をつかまえて、歴史学者は文献の中だけで考えておるが(
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@春野わか:➁ と、いう部分をまとめて「歴史は確かめようがない」と返しました  これまた既に述べてるように、↑の小池さんの実証が難しい、原理的に確定できないという言葉は、もう議論の大前提としてあるので、わざわざ言うべきことではなく、私はそれを踏まえた上でやり取りを交わしていたつもりです そして、小池さんの言ってることは正論過ぎるくらい正論なので「まともな人間なら、どんなに調べても歴史が実証が難しいこと、一次資料であれ」というのは理解していることです だから、創作論ではなく歴史を語る方に舵を切ったら私は基本的に言いません それを口にしたらオシマイというか言い訳になるから←小池さんや、作家という職業の方にそこまでの厳しさを要求してるわけじゃないですよ あくまでも歴史を語るならってことです 作家と歴史研究家では歴史に向き合う姿勢って全然違うから 私も歴史にスイッチ切り替えれば資料があるかどうか、まずそこからしか話したくないです 〉だから、長く定着した学説や広く流布された通説であっても、かならず矛盾や齟齬がいくつか存在していて、すっきりしない説明もけっこう多くなってしまう。 その通りです でも専門家(専門家の質にもよる)はやはり、その矛盾、齟齬を推論ではなく一次資料で埋めようとします  そこを想像や創作で埋めるのが作家と歴史研究家の違いです 
小池正浩
 ここです。ここが春野さんと僕の噛みあわない最大のポイントです。春野さんのおっしゃっていることは概ね理解できているとおもうのですが、そのうえでいわせてもらうと、春野さんはおそらく僕の説明を創作論や作家的な認識のみのことだと受けとられているのかと。  本題に移る前にこのコメント欄では先に、傍証というか例証というか、まさしく実証的にいくつか具体例をまた引用しておきます。といってこれはべつに、他人の言葉を利用して安易にすませようというわけではけっしてありませんので。むしろ前提的な確認作業にすぎません。  歴史学者の青木和夫は対談中、松本清張にはっきり述べています。「先生のお話の中で、基本的に賛
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@春野わか:➀ 〉「私が嫌うのは創作は創作 歴史は歴史という話し」──では、歴史ものの創作物── 創作のぜったいない歴史というものを具体的に教えてください。 そんなものは無いので知りません  創作は創作、歴史は歴史を私がどう切り分けてるかについては前にも述べてます 設定と解釈 少なくとも資料があるかどうか(資料に幾つも状況証拠なるものがある)、客観性を保つべきを歴史、創作は主観的な見方、資料になくても可と述べてます 〉または創作の混じった歴史は存在しないということでしょうか。 「歴史」と言える資料の中にも創作は存在します しますが、皆亡くなってるからそれが絶対に創作で有る、とは言えないはずですが、厳密には一次資料以外は切り捨てられるくらいの勢いがありますね←専門家の間ではね なぜ、そこまで厳密にならざるを得ないのか、という理由も理解できなくはないです 状況証拠の積み重ねでも、私は所詮は作家側の人間なのでオッケーですが歴史学ではNGかも 歴史学で求められるのは状況証拠の積み重ねではなく一次資料の積み重ねです 〉もし存在するのなら、その歴史もの作品で読む観る鑑賞するにあたいする創作物を── 私が知る限り、無いと思いますよ 〉歴史がたしかめようもないなどと一言もそんなセリフを僕は述べていません。一度でもいいので読み返して確認してください。 確認しました 「歴史がたしかめようもないなどと一言もそんなセリフを僕は述べていません」とは仰ってはいませんが ↓ 「というのは、たしかに中世って古代よりはなんやかんやと資料はあるものの、それでも現代ほど豊富でも「実証可能というわけでもないじゃないですか。つまり、どんなに正確を期す慎重な歴史家や研究者であろうと、どうしてもその空白を想像や推測で埋めなければならない。くわえて、一次資料だとはいえそれじたい不完全だったり不正確だったりするわけで、根本的に立証がむずかしい、というか原理的に確定できないことばかりですよね。」  ➁につづく 
小池正浩
 わかりました。「歴史がたしかめようもない」にかんする件以外は、あらかた齟齬は解消したのではないかとおもいます。  そういえば、シバリョーにくわえ清張さんも話題に出てきたことですし、せっかくですので五ヶ月ほど前に読んだふたりの対談で、ふたりの考え方や価値観のちがいがとくにあらわれていて興味深かった会話の一部分を少し長めになりますが抜粋しておきます。  最後に司馬遼太郎から「ぼくはしろうとだから、あくまでも古代のことをいうときには自分の言うことはすべて幻想だと思っています。今日お話ししたことも、松本さんはわざわざ私にあなたの説ではといってくださる。光栄あることばを使ってくださったけれども、
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 あっ、忘れていました。  絵文字を僕はつかう習慣がないんですよ、もともと。プライヴェートでのメールのやりとりでも、ぜんぜん絵文字も顔文字もつかない無味乾燥な文章です。そもそもラインはしない、ついでにいうとSNS全般、まったくする気なしの非コミュニケーション人間なので。  ということで、絵文字を頻出させるなどして、あわせることができないのが残念、いや無念です。だいぶん以前から春野さんはお気づきのことでしょうけど、僕はせいぜい文面のなかに「(笑)」をときどき入れるのが能力の限界なんです、残念至極なことに。もはや悲劇といっていいかも。
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