小池正浩

 しかし、なのに、だが、けど、でも、ものの、とはいえ、にもかかわらずetc.って言葉あるじゃないですか、つい最近SNS上での知らない人とのやりとりについて知人から話を聞いたところ、僕、ある新発見しちゃいましたって個人的に、まあ、あくまで個人的な発見というか見解なので、事実、世界初かどうかはわかりませんし保証はなんらできませんってことを前提にいうと、なんか、相手からのコメントでおかしなというか面倒な、社会人としてマナーや見識を疑う文面ってあるんだよねーってケースがあると、他人のつぶやきに対して、共感や賛同して「いいね」押すなりコメントするなりしたくなってするのは理解できるしまあいいとしても、逆に、うーん合わないなあとか自分はそれは嫌いだなあとかおもったとしても、わざわざ反論や反対意見をコメントで述べなくてもスルーでよくないスルーで、だからコメントでそういうケチつける文句いう人はドン引きされたり揉めたりするんだよ、というわけ。  で、僕、おもったわけですよ、ああそれってリアル世間でも大昔からいわれるやつじゃんって。ほら、相談や商談の場で、話のわかんないやつとおもわれて嫌われるやついるじゃないですか、女性とか上司とかに注意されるやつ。「あなたは人の話を聞いてまず相手のいうことに頷いて、はい、わかります、そうですよね、とかいうのではなくてすぐ否定して、いや、とか、でも、とか、けれども、とか、しかしですね、とかいう言葉をかならず口にするでしょ? それがよくない、失礼。最低限最初は、うんうんって相槌打つことぐらい心掛けなさい」ってやつ、あれですよ、あれ。  ようするにキーワードは、逆接の接続詞。そっか、ネット空間の仮想現実の世界でも、逆接のコメントは敬遠されるのか。そりゃそうだよね、だって自分の感じ方とか考え方とかを真っ向から否定されている気がするんだもの。賛意を得るばかりではないから気持ちが悪いよね。  で、ここからが本題。そっか、だったらじゃあ、批評って本質的にも原理的にも、必然的に逆接の接続詞を多用する文章になるにきまってんじゃん。だって対象作品を肯定するだけなら意味ないし必要ない、真剣に対峙して疑ってぶつかって揺さぶってこそ真価を問うことができるのだから。  あ、だからか、僕が評論を書いてて逆接が多くなりがちなのは。ああ、なるほどそれで、ときどき嫌われて敬遠されるのか。
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