秋月晶

不敵さを滲ませた怪作。
『おしりのぽんぽん』に寄せて、レビューを記します。 ※多くのコトを書きたいので、ですますの丁寧語は廃していきます。 この作品は、作者である出雲黄昏さん本人が言うように、怪作であると私も評す。 おしりのぽんぽんなる独創的な身体器官を生み出し、それの有るか無しかを手法を変えて語り尽くす作品だからだ。 おしりのぽんぽんが何であるかは、読者それぞれのイメージに任せているところが大きく、オリジナルのものでありながら、結局のところ完全な説明はなされない。 だが、おしりのぽんぽんが差別を生むものであることは確かであり、この差別意識、無いことによって生じる感覚を、読者は体感的に味わうだろう。 人間は、見た目の美醜により、無意識に人を選り分けている。 美しい人、清潔な人、または所作がきれいな人を、人は好ましく感じ、反対に、美しくない人、欠落部分がある人を、内面的なものを見ずに遠ざけてしまう。 おしりのぽんぽんは、衣服に隠れる臀部にあることから、見た目の美醜には直接的に関わらないが、それが無いとなると、人間としての欠損と見做されると作品では説いている。 そこに潜む差別意識は、総じてすべての差別に直結し、人間がもつあらゆる負の側面を浮き彫りにする強さを持つ。 今作は、冒頭にも述べたように、作者が認める怪作だ。 だが蓋を開けてみれば、複数のテーマを収斂し、豪快に撃ち抜くドリルのような破壊力を持っている。 これほどに尖った作品はなかなか見られないし、そのため、難解にして読者を選ぶものではあるが、実は内在的に誰しも感じているものを、盛り合わせて描き出しているのだ。 この作品は、文章による芸術たる『文芸』ではなく、作品として追究し、思考を促す『文学』であると考える。 また、突出した個性が、出雲黄昏さんにしか書けないものと言え、作者本人の思考や経験が活かされているがための論稿であるとも言える。 コメディアンとして有名な亡き志村けん氏の言葉を引用しよう。 『みんなと同じだったら、一番楽だろう。不安もなくなる。でも、その代わり個性もないってことになる。あいつは変わってる、と言われるのは光栄なことだ』 この言葉を黄昏さんは作品で実践しているように思えてならない。 強烈な個性は、必ずしも認められないが、異彩を放つ存在感がある。 大衆におもねることなく紡がれた文学をぜひ楽しんでいただきたい。
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秋月さん、怪作とのご批評、心より嬉しく思います。 志村けんさんの言葉は、僕の作家性を表しているし、その作家性を色濃く出した本作にぴったりだと、僭越ながら思う。 秋月さんの着眼点がするどく、ルッキズムの負の側面への言及は、作者でありながら勉強させられる。 また、本作の難解さをアシストするかのような、秋月さんのコメントも本作の見どころ。そのように勝手ながら便乗する。 本作は出雲黄昏のエゴであり、傲慢である。解釈は読書に委ねるなどと、生ぬるいことも言わない。 虚構的で、ストレスフルな、読み手を選ぶ物だということも理解しているつもりです。 そのため、本作へのご評価は、僕にとって、何物にも代えがたい宝物
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