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小池正浩
小池正浩
2024/8/25 19:31
復習と確認のため整理しておくと、イスラームの開祖ムハンマドが生まれ育ち布教をスタートさせたカアバ聖殿のある町マッカ、迫害を受けて闘争と避難をくりかえしながら移住したのち初めて礼拝所のモスクを建設、部族の別を越えた共同体のウンマ成立から教団国家の礎を築いたムナウワラ(光り輝く)マディーナ、それらふたつの聖都につぐ第三の聖地としてのエルサレム、正確にいうと新市街である西側ではなく旧市街の東エルサレムに世界三大宗教の聖域が集中しているわけですが、というより旧約聖書に記された内容をもとにアダムとイヴからノアを経由し共通の祖先セムの子孫としてユダヤ教のモーセ、キリスト教のイエス、そしてイスラームのムハンマドにそれぞれ分岐し系統づけられたものなのであたりまえっちゃあたりまえ、不思議っちゃあ不思議な偶然というか必然なわけで、世界的な常識ということもありますが、沙漠の思想がもつ強靭さや誕生した背景とか興味が湧くし深いし尽きないじゃないですか、で、周知のとおりその東エルサレムは三宗教で区分され、ユダヤ教地区には「嘆きの壁」が、キリスト教地区にはイエスが磔刑にあったとされる旧ゴルゴダの丘と聖墳墓教会が、イスラム教地区にはアクサー・モスクと黄金の「岩のドーム」が隣接して存在すると、だからおもしろいといったら語弊あるというか信者に対して失礼かもしれませんし、最初から当然の常識として疑問も懐かず受け容れてしまえば何ともおもわないかもですけど、まあやっぱり不思議だなあって気がしますよね、めっちゃ興味深い、くわえて意外と知られていない事実が、ムハンマドの死後いわゆるカリフ制の統治がイスラーム領土でおこなわれるようになり、後継者や代理人を意味するハリーファという語からきているらしいこの「カリフ」の第二代だったウマルのときに、イスラーム軍がビザンツ帝国を破ってパレスチナの地を占領、そのあと従来どおりキリスト教徒がいつづけるのをそのまま認め、さらにはそれまでエルサレム出禁だったユダヤ教徒にも同等の権利を保障したうえ聖地への巡礼も容認したと、ようするに現在のエルサレムにおける信仰の多様性や聖地のシェアという形にしたのはイスラームだということ、ちなみにセム的一神教の特徴である絶対唯一神、啓示、預言者、聖典といった基本的概念を世界中に膾炙させたのもイスラーム、厳格ながらも寛容なのがイスラームなんだよなあ。
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