倉橋

https://estar.jp/novels/25895811  最近、文学について若い人とDMで交流する機会があって、色々と勉強をさせられた。6000☆を超えたのを機会に、改めてギフトを設定し、内容について紹介させて頂くことにした。  皆さんと一緒に、気軽に文学を楽しみたい。  そんな思いで、文学についての色々なエピソードを網羅したエッセーである。  104頁からは、昨年、物故されたノーベル賞作家である大江健三郎氏について特集している。  大江健三郎氏が亡くなった時に、読者の方の投書が新聞で紹介された。  大江氏に著作へのサインを求め、快く書いて頂いたことや、 「私の本は売れませんので……」 と微笑んだエピソードを紹介している。  これは謙遜で、大江氏を熱読する読者が少なからずいる作家でもある。  これら読者というか信者の人たちはX(TW)や自分のブログを使って、大江教の布教に励んでいる。残念なのは彼らの布教活動が大江教信者の獲得に殆ど貢献していてないという厳しい現実であろう。  私の思うに大江氏は、役に立つ信者に、あまり恵まれなかったのではないかと思う。  Xや自らのブログで大江氏の小説を紹介すると意気込み、本文より長いのではないかと錯覚する程ダラダラと不可解な暗号文を書き連ねるのは初歩で、肝腎の大江氏について殆ど知識を持ち合わせていない方々が多い。  私がエッセーで紹介した「われらの狂気を生き延びる道を教えよ」という訳文を巡る騒ぎ。  私が引用も含めて詳しく紹介している『政治少年死す』を巡る騒ぎと、本人による作品の封印。  『沖縄ノート』を巡る裁判。  これらは大江氏の作家人生の中でも重要なエピソードについて殆ど知識を持ち合わせていない。別に知る必要などないが、大江健三郎氏を語ると云うなら知らない方がおかしい。  と、いう訳で、私は大江教の信者ではないが、大江氏の作品とエピソードを知るきっかけを作ることが多少出来たかとは思う。  最後になるが、Xやブログで活動する大江教信者が、エブリスタを読んでいる可能性は甚だ少ないと思うが、敢えて書いておく。  私はオーデンの詩についてのエピソードも『政治少年死す』のエピソードも『沖縄ノート』の裁判についても知らない人たちの、 「大江健三郎を読め」 というようなお説教を聞くことは、残念だが出来ない。       
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