年越し煎餅

『勧進』 人々が集まる所に市が出来、物流があるある場所には道や橋が出来る。 道や橋は人や物がスムーズな移動を可能にするもので、現代では当たり前のように感じるが、古代はそうではなかった。 道や橋は人や物をスムーズな移動を可能にする為だけではなく、兵士や騎馬もスムーズな移動を可能にする。 この道や橋を民の為に積極的に作ったのは『勧進』と呼ばれる流浪の僧侶であった。 建設費用も民から寄付で集め、人員も民のボランティアだった。 文献に初めて登場する勧進は行基である。 行基は奈良の東大寺にある大仏を勧進によって建てたのは有名である。 その他に空也であったり、平安時代は高野聖。 鎌倉時代には禅宗、そして念仏系へと変わっていったが、勧進の本質は変わらなかった。 この勧進をするものは、全ての縁から切り離された者として『無縁』とも言われた。 道や橋と同様に港町も勧進によって作られていたので、港町にも『無縁』の者が溢れ、無縁故え絶対中立的な『無縁』を使った商売が室町時代に隆盛を極める。 勘合貿易による投機である。
2件・15件
そのとうりですが織田信長が道路を整備したのは本当ですよ
2件1件
コメントをありがとうございます♪ 年代と詳細が必要だと判断しましたので、追加で書きますね。 街道整備は奈良時代前期の天武帝の『五畿七道諸国令』の中にあります。 その決まりには大路(七道)、中路(幹線道路)、小路を整備するものがありました。 一方、飛鳥時代の大化年間に『五畿七道諸国令』が出ているのが最初と唱える人もいます。 しかし結局の所、天武帝の頃は大路のみで、聖武帝の頃は各国の国分寺や国分尼寺に至る街道だけで民の生活に直結される道は整備されていません。 因みに村長は豪族と戦国時代の名称で書きますね。 結局は村のインフラは豪族の力次第だったようです。 そして平安時代末期から鎌倉時代
2件
勧進で検索した時に、 「勧進船」 「勧進平家」 「勧進相撲」 とかもあると書いてありました(o^-^o) 昔は船で移動していましたから、現代の選挙でも、選挙カーか船を、候補者が使っていいと言われるほど(゜_゜)!? 勧進平家は、琵琶法師だったのですね( ̄▽ ̄)♪ あと、大相撲発祥が、勧進相撲だとか!
12件
コメントをありがとうございます♪ ぴろさんが書いた勧進○○はその通りなのですが、発端は平安・鎌倉時代であっても、実際には往来自由から不自由となった江戸時代以降のことなのです。 言うなれば、中世最後の為政者である織田信長の世で、勧進文化が最大に咲き誇り、近世最初の為政者である徳川家康によって勧進文化が封じ込まれていったとも言えるかもしれません。 勧進平家が江戸時代に流行る前は、桂勾当(琵琶法師の太平記詠み版)が大名家に愛されて特に毛利元就は大層好きで、性格が父親譲りの小早川隆景(毛利元就の三男)が開く茶会には常に桂勾当が居たと言われております。 それら全てが江戸時代に消えていきました。
2件11件

/1ページ

2件