ここです。ここが春野さんと僕の噛みあわない最大のポイントです。春野さんのおっしゃっていることは概ね理解できているとおもうのですが、そのうえでいわせてもらうと、春野さんはおそらく僕の説明を創作論や作家的な認識のみのことだと受けとられているのかと。  本題に移る前にこのコメント欄では先に、傍証というか例証というか、まさしく実証的にいくつか具体例をまた引用しておきます。といってこれはべつに、他人の言葉を利用して安易にすませようというわけではけっしてありませんので。むしろ前提的な確認作業にすぎません。  歴史学者の青木和夫は対談中、松本清張にはっきり述べています。「先生のお話の中で、基本的に賛
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また曲解してたらすみません ここに書いてあることはザックリ同意です  歴史は資料の積み重ね、創作は無い部分を埋めてくみたいなことを前に書きましたが実は…… 歴史研究にも文学要素は「実際は」必要だと思ってます 数学的であったら、歴史の中に息づく人間は読みとけない 限界はありますよ 書状などは人間臭さが出てて面白いですよ 第六天魔王という名称が生まれた信玄と信長とのやり取りとか ↑ ここから伝わる、信長と信玄の笑えるキャラを笑うためには文学的な感覚が必要なんだと思います ↑ 脱線しましたね それと、歴史の専門家も人間なので、推理や推測 そうだったんだね、という感情として歴史に寄りそう気持
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 と、いまちょうど前文のつづきを書いていると、春野さんからご返答が届きました。  ああ、ならすみません、そういうことでしたら僕もほとんど同意見なので、この欄で書くことも書く必要性もこれ以上はなくなっちゃいました。しかし、いちおう述べておくとですね──。  青木和夫は松本清張の発言を受け、率直に自分の胸のうちを明かしています。「私も先生のお気持ちよくわかった気がするんです。先生は一番最初は鷗外から始めておられるけれど、鷗外の場合だったら「歴史其儘と歴史離れ」という随筆で、一番苦労した所をボシっと出した。松本先生の段階になりますと、歴史学者をつかまえて、歴史学者は文献の中だけで考えておるが(
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大体そうなので反論はないですが、あるとすれば、私はこの議論をそろそろ終わらせるように返信しているのでキリがなくなってしまうということで、他の欄でまとめて返信します
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