春野わか

➁ と、いう部分をまとめて「歴史は確かめようがない」と返しました  これまた既に述べてるように、↑の小池さんの実証が難しい、原理的に確定できないという言葉は、もう議論の大前提としてあるので、わざわざ言うべきことではなく、私はそれを踏まえた上でやり取りを交わしていたつもりです そして、小池さんの言ってることは正論過ぎるくらい正論なので「まともな人間なら、どんなに調べても歴史が実証が難しいこと、一次資料であれ」というのは理解していることです だから、創作論ではなく歴史を語る方に舵を切ったら私は基本的に言いません それを口にしたらオシマイというか言い訳になるから←小池さんや、作家という職業の方にそこまでの厳しさを要求してるわけじゃないですよ あくまでも歴史を語るならってことです 作家と歴史研究家では歴史に向き合う姿勢って全然違うから 私も歴史にスイッチ切り替えれば資料があるかどうか、まずそこからしか話したくないです 〉だから、長く定着した学説や広く流布された通説であっても、かならず矛盾や齟齬がいくつか存在していて、すっきりしない説明もけっこう多くなってしまう。 その通りです でも専門家(専門家の質にもよる)はやはり、その矛盾、齟齬を推論ではなく一次資料で埋めようとします  そこを想像や創作で埋めるのが作家と歴史研究家の違いです 
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 ここです。ここが春野さんと僕の噛みあわない最大のポイントです。春野さんのおっしゃっていることは概ね理解できているとおもうのですが、そのうえでいわせてもらうと、春野さんはおそらく僕の説明を創作論や作家的な認識のみのことだと受けとられているのかと。  本題に移る前にこのコメント欄では先に、傍証というか例証というか、まさしく実証的にいくつか具体例をまた引用しておきます。といってこれはべつに、他人の言葉を利用して安易にすませようというわけではけっしてありませんので。むしろ前提的な確認作業にすぎません。  歴史学者の青木和夫は対談中、松本清張にはっきり述べています。「先生のお話の中で、基本的に賛
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また曲解してたらすみません ここに書いてあることはザックリ同意です  歴史は資料の積み重ね、創作は無い部分を埋めてくみたいなことを前に書きましたが実は…… 歴史研究にも文学要素は「実際は」必要だと思ってます 数学的であったら、歴史の中に息づく人間は読みとけない 限界はありますよ 書状などは人間臭さが出てて面白いですよ 第六天魔王という名称が生まれた信玄と信長とのやり取りとか ↑ ここから伝わる、信長と信玄の笑えるキャラを笑うためには文学的な感覚が必要なんだと思います ↑ 脱線しましたね それと、歴史の専門家も人間なので、推理や推測 そうだったんだね、という感情として歴史に寄りそう気持
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