私は、あまりものをかくような立場の人間ではないのですが、身近な人のお話などから、いろいろ考えるようになりました。  あまり多くの方には賛同されないように思うのですが、自分も少しづつ、その辺に散らばってしまっている、何か、見落としてはいけないものを、残していくようなことをしていきたいと思います。大事なことを残したいです。
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こんにちは(*´∀`) ココでお返事で良いのかな? 独特は良い意味でです。 なんていうか、テンポが小気味良くて、無駄がなくて要点が入って来やすいから(*´∀`) それは個人差があるし、その人なりの独自性だと思います! 清宮さんは、明るくて、展開早くて、面白いと私には感じます(*´∀`)
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明治の文豪は一級の教養人ばかりで、だから漱石の文明論など未だに輝きを放っていると思うのですが、年月を経るにしたがって、小説はほんとうに「小さな」取るに足りないものになってきたように思います。昔は良かった、ではなくて幕末明治の頃が特殊だったのでしょうが、今が衰退の時期であることも確か。私は退場していく世代ですが、若い人たちには、未来のためにできることをよく見据えてもらいたいと思っています。
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 ありがとうございます。自分は小説の歴史がわからず、どのような思想が流れていったかは、よくわかっていないのですが、日本の昔の小説は失笑説が多く、ほぼ面白くなかったという印象しかなかったのです。  最近ではAIが勃興しており著作権的に様々なパターンが膨大に著作権がとられ、小説の意味がなくなるときが来るような気もしています。表現の自由を守るために、著作権の考え方を少し変えざる得ない時が来るような気がしています。そうでないと、自由な発想や表現自体ができなくなる気がしているのです。
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文字が間違ってて申し訳ありません。わりと本編では忘れ去られた可哀そうな話を引き釣り出してはいます。 https://estar.jp/novels/26256159/viewer?page=62 漱石の創作論を読んだのですが、難しくてちょっとわからなくて申し訳ないです。戦略家も、江戸時代育ちの方が賢いのは、寺子屋の影響か?とか思って、四書五経の暗記みたいなのは、朝活みたいなのでやってはきてました。 江戸時代か
異なる時代や社会の作品を理解するためには、その時代、その社会の状況を理解する必要があると思います。漱石は近代化によって伝統的な共同体が崩れ個人主義のなかで人々が孤独と不安に陥っていく様を生涯を通して描いていました。「吾輩は猫である」は新聞に連載されて人気を博していましたが、これも例外ではありません。読者たちも時代の空気や未来の気配に対する敏感な感受性があったのではないかと私は想像しています。 漱石の文には禅書からの引用が非常に多く、禅と基礎的な漢語の教養がないとちゃんと読みこなすことは難しいと思います。 ことほど左様に、作品と読者が置かれた文脈への理解なしには小説の評価は難しいものだと思い
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 教えて頂きありがとうございます。確かに同じ小説でも、背景があるなしで、理解や面白さや意図が全然異なってみますね。  そういう意味では、あまり背景が自分にあるわけではないから、文学という枠にすら入っていないかもしれませんね。  私小説の読み方を教えて頂きありがとうございます。なんか、私小説って、全然面白くなかったんですよ。楽しみ方があるわけですね。。
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私小説はエッセイとは確実に違うものなわけで、書いている「私」と書かれている「私」が別々なものとして精密にコントロールされています(いい作品ならば)。そこから、虚構とは何か、私とは何か、と言った方向に思いを馳せるのが書き手としての楽しみ方かな、と思ってます。
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