麻子 樹

こんばんは。🐢 「霧の王国と太陽の指輪」の最新話を投稿しました。 https://estar.jp/novels/25570988 長くなったため、2ページに分割しました。 児童文学の文章は、他ジャンルではあまり見られない独特な文体ですよね。 冗長に過ぎるといいますか。 会話文ではより顕著ですよね。例えば「ねえ、これは〇〇なのよ。それは間違いないわ。さっきも言ったけど××がしているの。ただ、△△なこともあってね。だから□□をしたいの。お願い、協力して」などという文章は、児童文学では普通です。 これってどうしてですかね? 小中学生を読者層として想定しているのですから、口語に近いほうが馴染みやすいと思うんですけど。でも純粋な児童文学や童話に近づくほど、独特な文体になっていくんですよね。不思議です。 当たり前のように児童文学を書いてきましたが、そんなことがふと気になりました。 もし児童文学と文体の関係を知っている方がいましたら教えてください。😊
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知識のない独自解釈で申し訳ないのですがf(^^; 語りかけにすることで、 同調(っていうんだっけかな?) その物語の主人公になりきらせる手法。 だと思ってました(´・ω・`)
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児童文学は、語りかけといいますか、遠回しな文章がおおい気がします。ひと手間、ふた手間加えるといいますか。 これも同調になるんでしょうか。🤔 ただこれまで歴史的背景や児童文学の決まり事として捉えていたので、読者との関係性で決められた作法という考え方は新鮮でした。 その方向性で少し調べてみようと思います。 ありがとうございます。😊
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児童文学の自称大御所たちが、保守的で、変化を認めないからだと思います。その価値観に引っ張られた編集・出版関係者たちも多く、「児童文学」という独自の謎の特殊ジャンルになっていると思います。空虚な伝統芸能のようなものだと思います。 日本の子供たちのためにも、誰かが打ち壊すべき悪習だと自分は思っていますよ。 まあ、いっぽうで「つばさ文庫」のように、児童向けレーベルにデスゲーム小説などを気軽に投入している何の節操もない新カルチャーも、それそれで大問題だと感じますが… 辛口コメントで失礼しました。。
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小樽のNPO主催の児童文学ファンタジー賞のように、文学研究者が選考に関わっているケースもあったりします。そういう中では、翻訳文学の語り口調を思わせる、自然な日本語の口語表現からは少し離れた文体がわりと評価されやすい、とうのもあるかもしれません(想像)。 ぜひとも児童文学賞をとりたい。という、受賞が目的であれば、選考委員をやっている大御所な人たちが好む独特な文体に寄せることは必要かもしれませんが、 とくにそれがメインの目的でない場合には、 「子供たちに伝えたいこと」「私が書きたい世界」がしっかりそこにあれば、本当に面白い作品なら、子供は楽しんでくれると思いますよ。文体がどうとか、子供自身は考
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児童文学ファンタジー大賞は、敷居の高い賞ですよね。24年間も大賞が出ないコンテストは他に例がないのではないでしょうか。(笑) それでいて、次回の公募から選考委員に脳科学者の茂木健一郎さんが加わるんですよね。児童文学ファンタジー大賞はどこに向かっているんでしょうね。 児童文学ファンタジー大賞のような賞もあるので日本の児童文学は凝り固まっていると思われがちですが、日本の方がむしろ自由だと思います。 例えば児童文学の大家であるあさのあつこさんや上橋 菜穂子さんの文体は、ほとんど大衆文学と変わらないと思います(上橋 菜穂子の作品を児童文学に加えるかは議論の余地がありますが)。 最近ではキャラクター性
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