出雲黄昏

やるせない本物の愛
東京タワーという象徴を、猿まねの延長として揶揄された歴史、これは日本を経済大国とした象徴でもある。経済の発展とは、あらゆる副産物をもたらし、心の豊かさを発展させることにも寄与する。経済発展の過程で、取り残された異物を、しかし対比として普遍的な愛が描かれた文学。 修辞的な表現もさることながら、この世界観を構築するにあたり、固有名詞が度々出現する。書き手としてこの判断は、題材がややハードであるがゆえに勇気のいる選択だ。現に作者である秋月さんは過去作では配慮していた。それだけに、本作に傾けた情熱を強く感じた作品でもある。敬服する。 これは愛の物語であるが、愛を深く洞察した結果の形。 変えられる物、変えられない物。抗うことのできないやるせなさが、個性ある人物像が、読者の胸を掴んで離さない。いや、離してくれなかった。 罪人ですら、正義を持ち合わせている。ダメなことだとわかっていても、どうか許してほしい。この切なる想いを抱きながら読者は、良心の呵責と、本物の愛の中で揺れ動かされるだろう。 僕ら読者は主人公の行く末に、何を思うだろう。失うこと、得ることへの恐ろしさだろうか。しかし前進する勇気だろうか。あるいは、愛の本質だろうか……。 本作は行間にリアルが内包されている。ゆえに面白さが凝縮された隙のない作品。  良識ある作者であったからこそ、描き得た本物の愛なのだ。
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黄昏さん、ステキなレビューありがとう💕 今は経済が衰退してるから、心の豊かさはなかなか生まれず、どんどん窮屈になってると感じられるよね。 家族の形も、大黒柱が一家を支えるものでなく、共働きにより家計を維持してる状態で、そのぶん子どもとの時間がなくなっている。 私は親に遊んでもらった記憶がほとんどなくて、いわゆる理想的な家族像とはかけ離れていたから、作中の雛子のような母親にある種の憧れを抱いていたの。 彼女の罪は消えようもないけど、茉也と茉優にとっては唯一無二の存在だった。 二人の両親の毒、対して雛子の愛。片や世間的には善人に見えて、片や法律的に罪人。 でもどちらが親なのか。どちらが子どもたちの
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