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第三回 氷室冴子青春文学賞

大賞

該当なし

準大賞

該当なし

 氷室冴子青春文学賞(以下、冴子賞)に関心を持っていただき、ありがとうございます。  Covid-19の影響で、昨年(2020年)は、応募も選考もお祝いイベントも、なにもかもなくなってしまい、とてもさびしかったです。  けれど、そんな中、第一回の受賞者である櫻井とりおさんが、『虹いろ図書館のひなとゆん』『図書室の奥は秘密の相談室』などを、次々に発表してくれました。明るくたくましい作品の内容の素晴らしさと、次々に届く読者からの賞賛の声は、わたしたち関係者およびスタッフ一同のおおいなる希望でした。  また、第二回の大賞受賞者である佐原ひかりさんの作品も、もうじき本屋さんに並ぶことになっているとうかがいました。その本も、めぐりあうべきひととめぐりあい、必要としているひとのところに届くはずです。  生まれてまだ数年の冴子賞ですが、こうして少しずつ、でも、確実に、ステキなあしあとを刻むことができていて、関係者として、とても嬉しく、誇らしく思います。  ちょっと話がかわります。  恩田陸さんの『灰の劇場』を読んだところ、最近、小説やマンガをまったく読まないひとたちがいる、なぜなら「作り話だから」というようなことが書いてあり、たいへん驚きました。  小説などを読まないかたがたは、LINEとか動画サイトとかでリアルな誰かと「つながっている」。ずっと。いつも。寝てる間以外、ほぼ一日じゅう。その状態が好きで、というか、あたりまえで、そうでない状態は落ち着かない。できるかぎり、そのつながりをもったままでいたい。となると、「ひとり」になる時間はほとんどないことになる。  なにかを書く時や読む時には、ひとは「ひとり」です。  おのれと、テクスト(文章)と、一対一で、向き合わなくてはなりません。  どうやら、そういう時間を、持ちたくない、持つ必要を感じない、そんなの持ってられない、ひとが、あるらしい。  具体的で身近なリアルを生きていくのがあまりにも楽しくて(あるいはそれでせいいっぱいで?)、それが時間の大半を奪っていて、こころの大部分をしめていたら、なるほど、「どこかの知らないひとのただの作り話」には、割くよゆうがないのかもしれません。リアルにつきあえないふれあえない具体的な誰かですらないものには、エネルギーをかけてもしかたないと感じられるのかれしれません。  そういうかたがあるというのも、また、人間の多様性のひとつなんでしょう。    「そっち」と「こっち」を分断するのは本意ではありません。  しかし、書かずにいられないひとは、読まずにいられないひとで、書くために読むためには、「ひとり」になる時間を必要とします。  リアルとつながる時間を削ってでも、ひとりになりたがる。  ならずにいられない。  氷室冴子はまちがいなくそういうやつでしたし、私もそうです。  最終選考にあがってきた五篇の作者のかたがたも、そうなのかなと思います。  渾身の「作り話」を、どうもありがとう。  選考に、わたしたちはたくさん時間をかけました。  ちょっと残念なことになってしまいましたけれども、激論と熟考の結果です。  以下、おのおのの作品について、審査員の感想です。 (審査委員長:久美沙織) 朝倉 かすみ(あさくら・かすみ)
蝶と花と、あと何を(仮)
 不明確な時間の流れに、刺青、病気、奇妙なアルバイト、男1女2の性行為などなど珍しい要素がちりばめられ、そこに「〈わたし〉の周りで家族、友人の事故死があいつぎ、〈わたし〉だけが生き残ってしまうのは、〈わたし〉が最初の死と向き合っていないから」という〈わたし〉の苦悩が綴られ、読むのに難儀しました。  時間の経過を整理するだけで、たぶん、読みやすくなると思います。〈わたし〉の周りの死の次第と、そのとき〈わたし〉の思ったこと――それぞれの死との向き合い方を含めて――を、ひとつずつ、しっかり書いてもらえると、だいぶ助かります(「時間軸がぐらぐらと狂う感じ」を狙っていたとしたらごめんなさいなんですけど)。  蝋人形のアルバイトのイメージが飛び抜けて美しく、友人が時を駆けて助けに来るラストもとても魅力的。カロリーの高い小説で、「?」と思いながらも、ところどころでねじ伏せられました。  
学校PR動画撮ります!
 テンポよく進み、どんどん読めました。〈わたし〉を軸に登場人物たちが協力して学校PR動画を撮るというのが全体をつらぬく縦線というか矢印となっていて、それが最初から最後までちゃんと小説を引っ張っていっているのがよかったです。  美少女やカリスマで構成される生徒会役員、物分かりのよい先生、漫研所属で職人気質の地味な〈わたし〉という人物設定を始め、カリスマと〈わたし〉の恋など「定番」の設定や展開を採用しているのも、もしかしたら「安定した読みやすさ」の一因になっているのかもしれません。 〈わたし〉だけに感情移入して読めたらよかったのでしょうが、少々スレた読み手である当方としては、ほかの登場人物たちがひたすら〈わたし〉を輝かせるために動いているように思えました。分けても〈りょうちゃん〉です。 〈わたし〉は学校では目立たない地味な存在ではありますが、実は励ましてくれる友達と動画作りのセンスに恵まれています。その上カリスマ男子に言い寄られます。その男子は美少女で成績優秀、モテモテの〈りょうちゃん〉の思いびとです。そして〈りょうちゃん〉には心を許せる友達がいなさそうで、うっかり者でぶきっちょで世渡りが下手そう。〈わたし〉は「持たざる者」の顔をした「持てる者」、逆にりょうちゃんは「持てる者」の顔をした「持たざる者」ではないかな、と思いました。 〈わたし〉視点で書かれた小説でしたが、りょうちゃん視点を加えて書くと奥行きが出そうな気がしました。とこちゃん視点も加えると、さらに立体的な青春群像劇になりそうです。
雷光をちょうだい
〈わたし〉、ユー、朱音ちゃん、主要登場人物三人それぞれに寄り添って読めました。この女子中学生たちの生きる日常生活にはいくつもの人間関係やら価値基準やらが複雑に絡み合っています。大別するとリアルとネットで、そのふたつの世界それぞれに、とってもめんどくさい人間関係やら価値基準やらが毛細血管のように走っています。  なんかもうほんとに地獄だな、と息苦しくなりました。〈わたし〉がユーのきもちを推し量り「だから、それだけで、わたしはこの地獄を生きていくことができる」とラストになだれ込むところにカタルシスがありました。そこがいちばんよかったです。 「推し」、「炎上」、「SNS」という要素が話題の先行作品と被っていたのが損でした。それらは、今、青春小説を書くとなると被りがちな要素になってしまうのでしょうが、三つ揃うと先行作品の出来とその作家の力量とどうしても比べてしまい、そうなると、まぁ、やはり、相当辛いのでした。
震える宝石
 恋愛でも友情でもない、いわゆる「名づけられない関係」を書こうとしているのは、とてもとてもよい試みだと思います。  とはいえ〈わたし〉の行為は性暴力。当方は基本的に小説で書いてはいけないものはないと考える者ですが、本作ではその辺りがなぜか少々気になりました。選考会で「主人公に加害者意識があったほうがいいのでは」という意見が出て、ハッとしました。  恋愛でも友情でも「関係」というやつは繊細なものです。「名づけられない関係」ならばなおのことで、センシュアルであればあるほどデリケートになっていき、いっぽう書き手には思いを深くめぐらせる作業と感受性の高い文章表現が求められるように思います。  そういう点で、粗っぽかったのかな、と思いました。少し急いで書いているようでもあり、せっかくの面白い表現が惜しい。もっと、じいっと、〈わたし〉と永田くんを見つめて書くと、もっと良くなると思います。
凛之助とお潤 子捕り鬼を盗め
 面白く読みました。  清廉な男装の麗人・凛之助と仇っぽい女賊・お潤のコンビで事件を解決! というのが、まずワクワクします。筋立て、お潤や佳世の書きぶりなどに、なんともいえぬケレン味があり、魅力的でした。  以下、助言というかわたしの希望をいくつか。 ・もしかしたら「凛之助とお潤シリーズ」をすでに何作も書いていらっしゃるのかもしれませんが、こういうところに応募するときは、ふたりの出会い(と協力して解決した最初の事件)を書くのがいいかもしれません。でなければ、もっと手際よくふたりの出会いを読者に知らせる必要があると思います。 ・せっかくのコンビなのですから(コンビですよね?)、ふたり揃って活躍するシーンがもっと欲しいです。 ・凛之助の出番がお潤にくらべて出番が少なく、キャラが弱いのも気になりました。お潤はもう少し凛之助をいじっていいんじゃないかなぁ。えっと、ふたりの生き生きとした会話がもっとあって欲しかったです。 ・お潤の「普通ならだれも欲しがらない無価値なめずらしいもの」の盗みを「五両」で請け負うという設定が、腑に落ちませんでした。「めずらしいもの」ってそれだけで「価値」があるのでは? ・ところどころで時代背景に関する解説が入りますが、こんなにたくさんなくてもイケるんじゃないか、とわたしは思いました。いったん全部外して、読み直してみることをお勧めします。どうしても必要と判断したら、どうやったらストーリーの流れを止めずに読者に伝えられるかをいの一番に考えるといいかもしれません。 久美 沙織(くみ・さおり)
蝶と花と、あと何を(仮)
 「ちょっと痛い百合めの話かな」と、読み出して、少し先で、激しいめまいにおそわれ、姿勢をただして深呼吸し、最初からあらためて読み直しました。「ちょっと痛い」どころではなく、何カ所も鈍器でぐさぐさえぐってくる作品でした。やられました。  「いま」がどこで、何歳のどういう立場のところなのかが、ともすると消えそうになる。「おのおの」の時点が鮮やかに激しく、翻弄されました。  ちょっとひとが死にすぎだし、殺しすぎだと思います。でも、実際、世の中では毎日ひとが死ぬ。まっとうな理由なんかなくても。あきれるような理由でも、ただの偶然でも、ちょっとした運の悪さでも。そもそも、生きているひとはかならず全員まちがいなくいつか死ぬ。どうやって死ぬのか、私たちは多くの場合えらべないし、自分にとって大切な人が突然あっけなく死んでしまうことを、防ぐ手段は存在しない。パンデミックの不安とストレス過多な気分に、この作品世界はあまりに似合っていました。  はみだしてしまうところ、ととのっていないところ、不器用なところもまた、「この」世界、というか、主人公の「世界観」からすると、こうならざるを得ないんだろう、こうしかできないのだろう、ゆがみもえぐみも、だから意味があって、必要で、しょうがないんだろう、と感じました。それこそ、ぬるま湯につかったまま、現実も夢も過去もいつもみんな渾然一体となってぼうっとしてしまったみたいに。  「睡眠薬」「刺青」そして「蝋人形」……デカダンというか、エログロというか、寺山修司か、唐十郎か、ATG映画ですか。ちょっと過剰に盛り込みすぎな気はします。逆にたがいに相殺してしまったというか。川端康成「眠れる美女」、谷崎潤一郎『刺青』、ディクスン・カー『蝋人形館の殺人』、エドワード・ケアリー『おちび』(マダム・タッソーの話です)などなどを、もしかして、参考になさったりしたのでしょうか? そうなら、そうだと、触れておいたほうが誠実かな、と思います。  主人公がほぼ40歳ちょい前で、なくなった旦那さんとのやりとりについての部分などのウエイトが大きいこと、結衣との関係についても、はじまりが大学生ごろだとしても、そこから何年もずっとつづいている「おとなの女性同士」のバディ感のほうが強かったため、氷室冴子「青春」文学賞では、ないかもしれないなぁ、というところが、ひとつ、弱点だったかもしれません。
学校PR動画撮ります!
 楽しかったです。いっぱい笑って、わくわくして、スカッとさせてもらいました。  語り口がいいです。かろやかで、必要十分で、先を読みたくなるし、読み返してみたくなります。貴重な特徴だと思います。  主人公で話主でもある平山くるめちゃんが、ヒロインというよりヒーローっぽくて、かっこよかったです。女の子だけれど女の子すぎない、高校生なのにすでに職人気質で、確固とした自分をもっている。中学時代のなかよしの仲間の全員と「離れる」高校に決めたのが「近いから」というあたりの、脱力感というか、人生観、達観みたいなのが、「いま」の若者らしい感じがしました。  東原くん、山田くん、駿河くん、男子がとてもイキイキしていました。ぜんたいを、動画完成ミッションに向けてのチームものとして描こうとしておられるのを感じましたが、それにしては、ちょっとくるめちゃんに肩入れしすぎ、重心がかかりすぎだったかな。特に、マドンナりょうちゃん。欠点がなさすぎ、物語にとって都合が良すぎでした。くるめを本来興味のなかった動画作成に無理矢理ひきずりこむ張本人だし、しかも恋のライバルなんですよね。りょうちゃんに、ずっと隠していた秘密の過去とか、恥ずかしい動機とか実はこうだった本音とか、なにか怪しい「ひとくせ」があったら良かったかもしれません。『カルテット』のありすちゃん(吉岡里帆)みたいな、といったらわかってもらえますか。  「believe」は、超有名曲(卒業式で合唱したりするやつ)があるので、さすがにこのタイトルは避けたほうがいいかなと思いました。本質的なことじゃないですが、意外とそういうことに読者はひっかかったりしてしまうものなのです。  ラスト近く、大スクリーンでみているときの、【私たちの毎日は、この連続でできているのか】に感動しました。それです。また高校生にもどってみたくなっちゃいました。
雷光をちょうだい
 タイトル、白いカラス、どうでしょう。  この年頃の女の子のひりひりした感じを、ていねいに描いていて、好感が持てました。  エミリちゃんと、ファンのましまろんちゃん。ネット上に生息する架空設定のほうが「真実の」自分だ、みたいな。  一般人を超越しているようにみえるユー。平気で先のほうを走っている上位の子のようにみえるのに、真白が「エミリちゃんを好きであること」をあっけなく見抜いてしまった、ひとなつっこい朱音ちゃん。女の子たちがそれぞれ良かった。  ルッキズム、資本主義、学校カースト。  ピアス。メイク。おしゃれ服。  いろんな要素がちりばめられてました。  中学二年生。14歳はギザギザにとがってて、でも、まだ、やわらかい。  朱音ちゃんとショッピングモールいって、幸福の絶頂だったのに、ハデな子たちが来たとたんに世界がかわってしまうあたりが、怖くて悲しくてうまかった。  おばあちゃんとのエピソードが、しんみりステキですごくいい。  日本社会や学校のへんなところ、青春のヒカリとカゲ。ふつうの女の子の小さな戦い。  好きな作品で、抱きしめたくなる作品でした。キッチュでカラフルでファッショナブルなすてきな女の子たちのイラストつきで読みたい感じでした。
震える宝石
 インパクトありました。表現もすごく工夫してあると思う。冒頭「いっしゅん」がひらがなであることとか。貴石宝石のたぐいの名前をたくさん使うとか。  即物的で生々しいものを見てしまったのに、美化してしまう主人公。そのおさなさというか、性知識のはんぱさグロテスクさが、いかにも青春時代の成長過程の迂回中みたいな感じがして、かつ「残酷なティーンエイジ」っぽさもあって、おもしろかったです。  日本は性教育、ちゃんとしてなくて、ダメですね。おかあさんが趣味でマンガをかいている、という設定も、新鮮というか、なかなかに衝撃的でした。宝石図鑑と、異世界戦士キラメシア! いいなぁ。「オタク」はすでに、ごくふつうなことになったんだなぁ。  はじめがいちばん衝撃的で、そこから、のんびりしちゃったというか、驚くような展開にいたらなかったのが残念です。窃視という、犯罪でもあり性暴力でもあるものを行っている主人公に犯意がなく、罪悪感もない。加害者になることの快楽って、実はすごく怖い話ですよね。でも、こういう子、実際にいそうだな……。徹頭徹尾、永田くんが気の毒。  すれちがう恋? ということで、「窮鼠はチーズの夢を見る」を思い出しました。ふたりのどちらにも、もっとズルいところや、恥ずかしいところ、弱みがあって、それをみせあえたりしたら。あるいは、栗原さんも含めて、三人ぶつかりあいながらぎくしゃくとした関係を築いてみるんだけれど、なにをやってもずれてすれ違ってうまくいかなくて、みんな傷ついて、でも少しだけわかりあって、たがいに出会う前とはちょっと世界が変わった……みたいな感じが、読みたかったかな。
凜之介とお潤 子捕り鬼を盗め
 実在の殿様や実際にあった戦争をネタにしたのなら、「因果関係」とか「人物相関図」とか「ものごとの時系列」とかを、ちゃんと間違いなく滞りなく説明してもらわないと困りますが、こういう作品は、もっと思い切り、とことんエンタメしちゃっていいんじゃないですか。演歌歌手のひとの歌謡ショウとかのお芝居みたいに。難しいところゼロを目標にして。楽しくて、笑えて、見せ場だらけ、くすぐりだらけ、一瞬も飽きない、みたいな。  語り口調も、落語や講談、大衆演劇のナレーションのような、耳で聞いてすんなりわかる、読んでもどこもつっかえずすらすら進める飲み込めるものに、したいところでした。「なんとなくそのころの時代っぽい」雰囲気の語彙とか言い回しも、当意即妙にふんだんにちりばめないといけないわけで、かなりハードルが高いですよ。山田風太郎先生とか、都筑道夫先生とか、浅田次郎先生とか、その道の達人がそりゃあたくさんおられますから、どうぞ研鑽してください。  いま現状このお話は、マンガでいうと、ロケ地にわざわざいってちゃんと取材してきた写真を忠実に模写して再現したみたいな背景と、劇画調のひとのバストアップ(それがどこの誰で役職何かの文字つき)と、セリフ、「ナレーション」ばかり、何ページもずっとつづいている……みたいな感じなんです。しかも、推理モノですから。つぎつぎにいろんなひとが出てきて、説明されちゃう。細かな情報や資料が過多すぎて、消化する間がない。物語の太い幹も、キャラの魅力も、見えにくくなってしまっているんですね。  とくに、凜之介さまがざんねんでした。身分の高さと「男装」という特徴で、煙幕をはられているばかりで、内実のひととなりの魅力がよくわからない。ものの言い方もあたりまえすぎ。お潤のほうが、破天荒で粋でデンポウな姐さん(由美かおるさまで浮かんでしまうなぁ)として、はっきりキャラが立っているだけに、コンビ組ませて楽しいキャラにして欲しかった。たとえば、見た目は立派だけど実は臆病で小心だとか、朴念仁の世間知らずでクールすぎるとか、逆に心がピュアすぎてほとんど赤ん坊、とか。みためは凜々しくて剣は強いが、実は、お潤にしてみれば、守る対象。じれったがりながら、さんざん憎まれ口をききながら、必死にかばう。そしてお潤の危機には、ダメダメなはずの凜之介が、突然覚醒して、めったにないいいとこ見せちゃう。「ああ、もう。だから、惚れちゃうよ!」みたいなのだったら。それ、ぜひ、読みたかったです。 柚木 麻子(ゆずき・あさこ)
蝶と花と、あと何を(仮)
非常に読みづらく、構成が難解で、もっと整理した方がいいのに、と思いつつ、私が一番強く推したのが、この作品です。身近な人間の相次ぐ死、ボディアート、奇妙な添い寝ビジネス……とトピックがあまりにも多くて、時々本筋を見失いそうになるのですが、作者がもっとも描きたいのが、結衣と主人公の友情なのだと、よくわかるからです。自分で自分に呪いをかけてしまった主人公を解き放つのが結衣の一言である、という核の部分はとても良いし、亡き夫のディテール、アップルパイの使い方など光る部分が多いだけに、あらすじが混乱しているのがもったいないと思います。ただ、このがむしゃらな熱っぽさが、とても魅力だと思うので、まずは短い物語から、読者にとって読みやすい形を、納得がいくまで試行錯誤していっていただきたいな、と思います。
学校PR動画撮ります!
キャラクターの作り方がとても上手で、最後まで読ませる力を持った、大勢の読者に届く物語だと思います。それだけに惜しいと思うのが「りょうちゃん」の描き方です。優しくて、頑張り屋で、みんなに好かれて、でも本当の意味では誰からも必要とされない彼女。器用なタイプというわけではないのに、結果なにもかも手に入れる主人公とは対照的です。あまりにも不憫……と私が「りょうちゃん」をこんなにも気にしてしまうのは、やはり、人物描写が上手で、彼女の体温や戸惑いまでが伝わってくるからだと思います。別に「りょうちゃん」が報われないままでも構わないのです。ただ、彼女の中にある、鬱屈や悔しさ、やりきれなさ、怒り……ただのいい子で終わらない、渦が表現されているだけで全体の印象は大きく変わると思います。さらに人物を掘り下げることができたら、爽やかなこの持ち味に一段とコクが増すと思いますので、期待します。
雷光をちょうだい
誰もがかつての自分を思い出さずにはいられない、まっすぐな力を持つ小説だと思います。普遍的な物語なだけに、流行の素材や既視感のある設定は避けた方が、ストレートにその良さが届くと思います。同時に、今目の前で起きていることをすべて詰め込みたいという生真面目さが感じられ、私は非常に好感を持ちました。同性に憧れるヒリヒリした感情だけでも十分に読ませる力を持っている方なので、どんどん書いて、自信とオリジナルの視点を身につけて欲しいと思います。
震える宝石
物語に引き込まれるゾクゾクを一番感じたのはこの作品です。つまり非常に力があるということなのですが、それだけに倫理観が気になってしまいました。物語の中で歪んだ支配関係が描かれていても、それは罪に問われることではありませんが、作者の視点がどこにあるかは、非常に重要です。この二人の関係が、今社会問題になっている性加害である、それを多くの人が読む、という意識は、作者だけは持っているべきだとおもいます。その視点はむしろ、この才能を羽ばたかせると思います。さらに、男性の性器を宝石に例えるのであれば、女性側の身体にその時何が起きているのか、彼女にどんな輝きがあるのか、またはまったくないのか、もしっかり描いて欲しかったと思います。
凛之介とお潤 子捕り鬼を盗め
すべての候補作の中でもっとも魅力的なキャラクターが登場するのがこの作品だと思っています。凛之介とお潤という最強のバディを考えただけで、大成功だと思います。であるだけに、読者はこの二人の胸がすくような冒険を読みたい、と願ってしまいます。なかなか二人が顔をあわせない、事件がゆっくりと解明されていく、はっきりした大活躍がない……それをこれだけ歯痒く思うのは、私がこの二人組がすでに大好きになっているからでしょう。時代小説であれば、誰もが知るあの事件やこの事件をうまく取り入れて、読者の心をつかむことも可能です。せっかく考えた素敵なキャラクター、どう動かしたらさらに素敵になるかを、楽しみながら考えていただきたいと思います。
・募集期間:2020年10月1日(木) 17:00:00 ~ 2021年1月11日(月) 27: 59: 59 ・最終結果発表:2021年4月予定 ⇒ 2021年5月予定
※楯はトロフィーに変更になる可能性があります。 ※受賞者は、2021年夏ごろに北海道岩見沢市で開催される授賞式に招待されます。  その際、新聞/雑誌/WEB媒体などのメディア取材が行われます。  当日の写真が露出、掲載される場合がありますので、あらかじめご了承ください。 ※岩見沢にまつわる副賞:お米、農産物、ワイン、加工品など岩見沢の協賛企業からの副賞をご用意します。
集英社コバルト文庫を代表する作家であり、少女小説の分野で新しい世界観を提示した氷室冴子氏の功績を讃え、「氷室冴子青春文学賞」が創設されました。 このたびはその三回目となる「第三回 氷室冴子青春文学賞」を開催します。 本賞では「青春」をテーマにした作品を募集し、まだ発見されていない優れた才能を発掘します。
・選考の対象は、日本語による言語表現作品一般とします。 ・応募は過去に受賞歴、出版歴、書籍化予定がないオリジナル作品に限ります。ただし、エブリスタ主催の賞で受賞歴のある作品は、出版歴・書籍化予定がなければ応募可です。 ・現在他の文学賞(エブリスタサイト内で開催中のものも含む)に応募中の作品は審査対象外となります。 ・完結作品であることが必須です。 ・受賞作はエブリスタサイト上で公開されます。 ・選考に関するお問い合わせには応じられませんのでご了承ください。
※50音順・敬称略
 我が国が第二次世界大戦後の荒廃から立ち直った昭和30年代始め、北海道の雪深き地方都市に生まれ、高度経済成長期に育ち、物語を書き始め、高揚の時代の終焉であるオイルショックの年に大学を卒業し、職業作家を志し、1980年代から1990年代に数多くの作品を発表した氷室冴子。  彼女は、戦後民主主義の世の中になっても、主役は男性である時代の現実を打ち破るような、感情豊かで魅力的な女性をヒロインにした物語を生み出し、同時代を生きる若い女性を中心に多くの支持を得た。日本の小説にそれまでになかった自由な新しい女性像は、次の世代の作家に大きな影響を与え、彼女が切り開いた物語の地平線は現在も限りなく大きく広がっている。  氷室冴子がわが国の小説のフロンティアを開拓し、それまでにない新世代のための物語を紡ぎだし、同時代の若い読者の共感を得る瑞々しい女性像を生み出したように、“今”をイメージさせる主人公が登場する、若い魂を揺さぶる小説を見つけ出し、これからの物語の可能性を広げていくことを目指し、この賞を創設する。 特定非営利活動法人氷室冴子青春文学賞 代表理事 木村 聡 ●氷室冴子とは 1957年、北海道生まれ。藤女子大学国文学科卒業。『さようならアルルカン』で集英社の青春小説新人賞に佳作入選。累計800万部のヒットとなった「なんて素敵にジャパネスク」シリーズ、スタジオジブリによってアニメ化された『海がきこえる』などを執筆した少女小説家。集英社の少女小説レーベル「コバルト文庫」の看板作家として人気を博す。2008年6月逝去。 ●第一回 氷室冴子青春文学賞はこちら ●第二回 氷室冴子青春文学賞はこちら 主催 特定非営利活動法人氷室冴子青春文学賞 特別協力 エブリスタ

コンテストの注意事項(必読)