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第二回 氷室冴子青春文学賞
朝倉 かすみ(あさくら・かすみ) 「きみのゆくえに愛を手を」  女の子のきもちが立体的に、繊細に、丁寧に描かれていました。よいところも、弱いところも、ずるいところも、よろこびも、悲しみも、悔しさも、怒りも、その合間の名づけられないものも、洗った言葉で書いてあって、いちばんいいと思いました。大賞、おめでとうございます。 「あるはげた日に」  ハゲを隠し通せるかどうかという太い一本の線があり、「その一日」と期間を区切り、時系列に書いてあるので、なりゆきがよく分かりました。ちいさな出来事が次の展開につながり、適宜説明と要約が入るため、読んでいて混乱しませんし、冒頭で窮地に立たされた主人公がさらに追い込まれていくようすが、チャーミングな場面やこころあたたまる場面を挟みながらテンポよく書かれていて、小説をつくるのが上手だなと思いました。 わたしの不満は大人になった主人公がなぜ同窓会にも元同級生の結婚式にも行かないのかということで、ほかの審査員にハゲがバレてからかわれたトラウマがあったからと教えてもらいましたが、それだけなのかなぁ、と今も思っています。準大賞、おめでとうございます。 「これカノン」  自分が書こうとしていることを、読む人はぜんぜん知らないのだということを頭の片隅にでもいいから置いてほしいです。もうちょっと文章を整理するか削るか付け足すかして分かりやすくしてください。ムードだけで書かないように。いつ、どこで、なにがどうなっているのか読んだだけで分かるようにしてくれると読む方は助かります。  これはわたしが創作教室に通っていたころ、講師によく言われた言葉です。あなたにはあなたの目指すスタイルがあるかと思いますが、ご参考までに。がんばってください。 「おやじドロップキック」  読みやすさがこの人の大きな特徴なのだろうと思いました。どういうお話だったのか、は、とてもよく分かりました。でも登場人物の存在感がどれも淡く、「お話」にぶら下がっているようです。どの登場人物にも、芯を食う描写があってほしいと思いました。読みやすさ、読み心地のよさを活かしたまま、厚みのある小説を書けたらすごくいいな、と思います。 「開花の忘れもの」  この時代や、小説への愛を感じました。さまざまな面白いアイディアを持っているようで、そこも魅力的でした。この人もいくぶん「お話」に登場人物がぶら下がっている印象がありました。視点のブレや細部の粗さが残念なので、たとえば30枚と枚数を決め、視点も固定し、ちいさく書く練習をするといいかもしれません。長編向きの方なのかな、とは思いますが。 久美 沙織(くみ・さおり) 「きみのゆくえに愛を手を」  やられました。ちぐさだし。  父子家庭+母子家庭、血のつながらない弟、性のめざめ。  背伸びしたいような、まだ目覚めないでいたいような……微妙でデリケートな問題をていねいな手つきで書いている。きれいです。  はるひこくんが特にいいです。  わりといまさらな題材ですが、目のつけどころがいいというか、ブラで話をひっぱっていったのがうまい。智くんという彼氏の、よさとダメさのかげんも、リアルでうまい。主人公が、ご都合主義的にできてない。万能すぎないし幸福すぎないしお利口すぎない。でも、潔癖でピュア。そういうところが、すごく冴子さんの系譜だという感じがしました。ちぐさだし。  タイトルと、終わりかたに異議がはさまりました。  選考委員三名からの提案は、  タイトル『T85 U75』  最後は「布団の中から思い切り頭を蹴られた。」までで、あとは削る。  これでばっちり。 「あるはげた日に」  たのしかった。  うまい。おもしろい。読みやすい。  キャラ配置も物語もばつぐん、テンポよくさくさく進んで気持ちいい。  あえていうと、二十八歳になってからの部分があるのが、わたしには余計に感じられた。ここまで、いまの中学生のことかと思って読んできたのが、「昔のことだったのか」と、やや裏切られた気分になってしまった。また、そうして見ると、前の部分にところどころあった「古さ」が気になった。いまの若い読者が読むとこの部分は、違和感になるかもしれない。  その点をおくと、少女時代部分はもんくなしにおもしろい。みんながつまさきだちで歩くところとか。宗谷サキの不思議っぷり、図書室と先輩、美しい雲のかたち、ジャージでワックスがけ、放課後の部活……すべて良い。  最後をぬくと、たった一日のできごと。アリストテレスの三一致の法則にのっとっている。名作である。ぜひ、本にしてほしい。  しかし。  選考会で柚木さんに指摘されて、しみじみ考えた。身体的な問題を悩んでいるかたも世の中にあるのに、このテーマをギャグとして扱っていいのかと。  小さな円形脱毛は些末なことにみえ、それを致命的な問題として悩み苦しむ主人公の少女らしい純情をおもしろがることができるわけだが、たとえば、ガン治療の副作用としての脱毛なら、笑ったりなどできない。切実に「ふつうになりたい」ひとたちのためのヘア・ドネーションなども、行われている現状がある。  「はげ」というワードは、それを悩んでいるひとにとっては、あまりに残酷すぎ、ぐっさり刺さりすぎる、強すぎるものなのかもしれない。  それでも、あえて「はげ」を書くのなら。 1・原因がストレスだと本人が最初から断定しないほうがいい 2・ときどき、「はげ」の周囲がカユくなって、つい掻いてしまって、ハッとするなどのシーンがあるほうがいい 3・「はげ」がわずかに大きくなったり、移動していたり、知らぬまに増殖していたりする、ような気がして、動転するほうがいい。気にしないでいたいが、気になってしかたなく、鏡などをつかって直視しようとしては、善意の第三者にさまたげられて確認できない。こうすると、それが、被害妄想なのか、なんらかの不可思議現象なのか、本人にも読者にもわからない。リアルで具体的なひとつの「はげ」ではなく、青春の自意識の混乱がもたらす錯覚のようなものとして描くことができるのではないか。 4・ラスト、からかわれて終わるのでは閉ざされてしまう。ひとつの案だが、主人公の大活躍に感激してかけよってきたともだちに、至近距離でみられて、しまったバレたと思った瞬間、そのともだちが帽子ごとオカッパをぬいだらどうか。つまりともだちのほうこそ、つるっぱげでズラだったのである。そして、それを、みじめにも苦痛にも思っていない。みんなが心配するといけないからズラで隠していただけ、と明るく告白する。なんならほかのともだちも、それぞれ「実は」「わたしも」の何かがあったりして。こうすると、ただのちいさな十円はげごときで死ぬほど悩んでいた自分を相対化して笑い飛ばすことができるし、ほかのみんなと連帯できるし、もっと困難なことがあっても立ち向かっていけるなと自覚できるのではないだろうか。  選者の朝倉さんの『平場の月』にはある治療を選択した女性のリアルな日常や気持ちがくわしく描かれている。ぜひ参考にしてほしい。 「これカノン」  最終選考に残った五作品の中ではいちばん文学的。だから、時代・風俗によらず、普遍的に読まれる作品になりうる部分がある……のだが、つめが甘いな。  AおばBおばの、英語イニシャルで呼ばれるのがやけに曰くありげで、気にかかってしまうが、謎解きがない。  頭でっかちで口の達者な小娘が、おもしろおかしくいろいろしゃべっているんだけど、どこにいこうとしているのか、どこかに行き先があるのかどうか、手探りすぎるような。思春期の傲慢さがいいのだが、ぶつぶつ断章すぎ、部分すぎ。賢いコではあるだけに、視界にはいっている世界が狭すぎるのが残念。  森茉莉、倉橋由美子、水村美苗、金井美恵子、男性だけど庄司薫、あと、そうそう、栗本薫さまの六道ヶ辻シリーズあたりなどはぜひぜひ、読んでみていただきたいです。 「おやじドロップキック」  うーん。  ごめん。いきなり反感を持ってしまった。  おかあさんの、あと半年宣言軽すぎる。若い主人公がこれをうけとめきれなくてとっさにながすのはしかたないとして、そこで「あきれる」キャラには、すまん、共感できない。そこらへんを語っている語り口というか、語彙とかにも、好感はもてなかった。  んーで、まあ、最後まで読みましたが。  冒頭の「むすこにちちおやと戦ってほしい」発言のインパクト以上のものはなく、ひねりも起伏もなさすぎ。実にすなおに単純にまっすぐいって、そのまんま終わっちゃっている。  瀕死の母親の願いをかなえるためにありえない努力をする、という設定そのものは悪くないけど、いいかたはわるいが、そこでとまってる。  おかあさん死ぬ必要あるのか。というか死ぬにしては、闘病してるシーンとか、弱っていくシーンとか、なさすぎ。もしかしたら死ぬかもしれないと人生考えなおして、芝居をうった、奇跡的に死なずにすんだ、みたいなほうがよくないか。  主人公にとっても、みんなやさしすぎ、なんでもうまくいきすぎ。うっかり甘く見て痛い目にあったりとか、だまされたじぶんが情けなくなってギリギリ奥歯をかむとか、信じたひとに裏切られてガクゼンとか、父親を倒す前に別の中ボスをたおさないといけないんだがこれが厄介だったとか、そういうシーンが少しはないと。  ビジュアル作品ならこのあらすじでもそこそこいけると思います。父と母と透くんを旬の人気役者さんにして、プロレスシーンに「ほんもの」ぶちこめば。あと、感動的なテーマソングでもつけとけば、あっさり成立しそう。  でも、小説という表現では、これでは足りないのです。なにせ主人公が本気になってない。肉体と精神を限界まで鍛錬している感じがしないんだよね。根性物はそれがなきゃだめでしょ。そりゃプロレスは、「殺陣」で「演技」だろうが、それにしても、ふつうの人間にできることじゃない。ちゃんとからだをつくらないと、できないはずだ。  登場人物の血と汗と涙が感じられないから、感動できない。  文体も題材に対して軽すぎると思う。おもしろく読みやすく書くのはいいのだが、諧謔味とか、ひねりがないと。それが品格になり、架空の登場人物たちへの敬意ともなって、読者に伝わるはずだ。 「開花の忘れもの」  ちょっと人称の揺れがあったりするけど、基本的に、文章能力がとても高い。独特のリズムのあるすてきな文体です。書けるひとだ。できるひとだ。いい話だ。  しかしなぁ。  「実はこうだった」話をほぼぜんぶ伝聞で明かすのは、もったいないです。  かよ視点でなぜ書かない? この作者なら、やろうと思えばできるんじゃないかしら。  ただ、そもそも、なんでこの時代背景とこの題材をえらんだのか?   幕末というわりと近い時代のしかも実在の有名人(嘉納治五郎)をかってに使うのは、あまり評価できない。いま実在する高齢老人は幕末から二代か三代しか離れていない。「うんとちっちゃなころ、かわいがってくれた近所のおじさん」が、じっさい、明治維新を経験したひとだったかもしれない。そういうひとに読まれても「へん」「いや、このひとはこうじゃなかった」と思われないように書かないといけない。場合によっては子孫とか関係者に、名誉毀損だと言われる可能性もあるのだと、意識してますか?  小説はどうせみんなうそですが、うその皮がやぶれかけてるとみっともない。  これ、徹底的にかよ視点で、朝ドラみたいに書いたほうがよかった。そのころの女性としてはありえないようなことがいろいろ起こり、時代の境目の大きな事件の影響をはさみつつ翻弄されながらもがんばって生きて、恋をしたりされたりし、おかあさんになり、おばあちゃんなり、いまどきの読者(視聴者)に共感される、みたいな話で、そこに「生まれ年の差トリック」人物とりちがえミステリがさりげなくはさまっていて、「うわっ、そうだったのか」みたいなのが来て、ラスト、平和な時代の孫娘が、いまわのきわのおばあちゃんの手をとって、おばあちゃんの大切にしてきたなにかを「受け取る」「引き継ぐ」みたいなふうにまとまっていたら、すごく良かったのになぁと思う。 柚木 麻子(ゆずき・あさこ) 「きみのゆくえに愛を手を」 視野を広げよう、想像力、新しい価値観を身につけよう、ともがくヒロインの葛藤が素晴らしいし、義理の弟のまだどこにもあてはまらない性のあり方と個性がとてもよく書けていて、多様性と正面から向き合う真摯さを感じました。試着室でのやりとりは、さりげないながらも、世界の無限の広がりが感じられて、まだ見たことがない惑星まで読者を連れ去ってくれるのではないか、とワクワクしました。こんなに素晴らしい展開を見せてくれたにもかかわらず、二人の関係が家族や思いやりに落とし込まれたのが、惜しい。この作者さんでしたら、他に類をみない、名前のつけようがない関係性を提示してくれたはず。ちょっと意味の幅が広すぎるタイトルもそうですが、自分の才能を信じてもっと粘ってほしい、と願います。 「あるはげた日に」 私は五作品の中で、個人的には一番好きで、なんともいえない優しさがある物語だとおもいます。氷室冴子の名を冠した文学賞ですから、私としてはなにかしらのシスターフッドが感じられる作品を選びたくて、できるかぎり推しました。人気者の女の子にも、ちょっとうるさい友達にも、二面性と切実な本音がかくされていて、作者が同性に向ける視線のあたたかさが、とてもいいと思うのです。また、女性キャラにかぎらず、先輩や先生たちいずれも、魅力と奥行きのある人物像。ユーモアのセンスも抜群で、やぶれかぶれでホームランを打ったり、爪先立ちで歩くくだり、笑ってしまいます。にもかかわらず、最終的に私でさえ引っかかってしまい、強く推しきれなかったのが、まさにタイトルでもある、ヒロインの身体に起きたある変化です。 自分ではどうにもできないし、おそらくはストレスが原因か、病気である可能性も高い。ヒロインは最後までそれを恥じ、隠そうとして、周りもそれが笑えることとして受け止める。これはいかがなものかとおもうのです。自分ではどうにもならない身体の特徴や症状が忌むべきものとして描かれていて、それに関して一切の批判精神や批評性がない作品は、本にはできないのです。でも、これだけの優しさがある作者ですから、きっと次回は価値観をアップデートして、さらに良い作品を書いてくれると期待しています。 「これカノン」 選考会でもっとも、この作品が話題にのぼり、全員の心の大半を占めていました。これだけでもすごいことです。他の作品と違って、こうした方がいい、こうするといい、というアドバイスがまったくできないのが、欠点でもあり最大の長所だと思います。スノッブでナルシストだけれど、客観性も自己批判性も存分に持ち合わせていて、今の気持ちがいつか消えてなくなることにも自覚的、政治や文学への視線もまっとうなヒロイン。自己完結しすぎていて、こちらがなにか思いを馳せようにも、感想らしい感想が湧いてこないのが正直なところですが、これこそが少女なのかもしれない、とも思うのです。他人からの批評で向上するタイプではなく、書き続けるうちに、世界観や方向性が確立する方だと思いますので、どんどん作品を生んでほしい、と願います。 「おやじドロップキック」 リング上のキャラクターと普段の生活のギャップが面白く、文章も読みやすい、楽しい作品です。が、どうにも引っかかるのが、お母さんが死んでしまうことです。なぜなら、お母さんが死ななくても、たとえば、好きな女の子や怖い先生をうまく使えば、父親とリングに立つという物語はちゃんと成立させられる方だとわかるからです。なぜあのお母さんは死ななければならなかったのか、どうしてプロレスを盛り上げることがあんなに好きなのか、どうしてあんなにさらりと明るく人生の終わりを受け止められたのか、彼女の内面にはどんな葛藤があったのか、書き手にしかわからない設定や理由はちゃんとあったと思うので、ぜひ、そこに向き合ってもらいたい、そこから次回作の構想が生まれるはずだと期待します。 「開花の忘れもの」 優しかった母親が実は最強のヒーローだった…。アイデアだけで出版や受賞の可能性は大きくある作品です。もうこの作者さんの世界観はかなり出来上がっていて、この路線を極めてほしいと思います。子供を抱えての戦闘シーンは、本当に痛快です。ただ、お母さんがこれだけの伝説であるならば、語り手はどこかの段階で必ずその片鱗を発見しているはずです。その視点が欲しいのと、お母さんが病気である現在パート、つまり物語の起点となる時期がわかりにくいのが難点です。お嬢さんの生まれ年からなんとなく計算することは可能ですが、高齢出産の可能性もあるし、特定は難しい。これだけ歴史が好きな作者さんですから、小道具やキーワードでこれがいつくらいのお話だか、さりげなく読者にわからせることは絶対にできるはずです。 選考会の様子は、10月17日(木)に座談会形式でmonokakiに掲載されます。 授賞式は12月1日12時〜 北海道岩見沢市 ホテルサンプラザにてとりおこないます。
募集期間: 2019年5月1日(水)17:00:00 ~ 2019年7月31日(水)27: 59: 59 最終結果発表: 2019年10月予定
※楯はトロフィーに変更になる可能性があります。 ※受賞者は、2019年秋ごろに北海道岩見沢市で開催される授賞式に招待されます。  その際、新聞/雑誌/WEB媒体などのメディア取材が行われます。当日の写真が露出、掲載される場合がありますので、あらかじめご了承ください。 ※岩見沢にまつわる副賞:お米、農産物、ワイン、加工品など岩見沢の協賛企業からの副賞をご用意します。
集英社コバルト文庫を代表する作家であり、少女小説の分野で新しい世界観を提示した氷室冴子氏の功績を讃え、「氷室冴子青春文学賞」が創設されました。 このたびはその二回目となる「第二回氷室冴子青春文学賞」を開催します。 本賞では「青春」をテーマにした作品を募集し、まだ発見されていない優れた才能を発掘します。
・選考の対象は、日本語による言語表現作品一般とします。 ・応募は過去に受賞歴、出版歴、書籍化予定がないオリジナル作品に限ります。ただし、エブリスタ主催の賞で受賞歴のある作品は、出版歴・書籍化予定がなければ応募可です。 ・現在他の文学賞(エブリスタサイト内で開催中のものも含む)に応募中の作品は審査対象外となります。 ・完結作品であることが必須です。 ・受賞作はエブリスタサイト上で公開されます。 ・選考に関するお問い合わせには応じられませんのでご了承ください。
※ 50音順・敬称略

 我が国が第二次世界大戦後の荒廃から立ち直った昭和30年代始め、北海道の雪深き地方都市に生まれ、高度経済成長期に育ち、物語を書き始め、高揚の時代の終焉であるオイルショックの年に大学を卒業し、職業作家を志し、1980年代から1990年代に数多くの作品を発表した氷室冴子。  彼女は、戦後民主主義の世の中になっても、主役は男性である時代の現実を打ち破るような、感情豊かで魅力的な女性をヒロインにした物語を生み出し、同時代を生きる若い女性を中心に多くの支持を得た。日本の小説にそれまでになかった自由な新しい女性像は、次の世代の作家に大きな影響を与え、彼女が切り開いた物語の地平線は現在も限りなく大きく広がっている。  氷室冴子がわが国の小説のフロンティアを開拓し、それまでにない新世代のための物語を紡ぎだし、同時代の若い読者の共感を得る瑞々しい女性像を生み出したように、“今”をイメージさせる主人公が登場する、若い魂を揺さぶる小説を見つけ出し、これからの物語の可能性を広げていくことを目指し、この賞を創設する。 特定非営利活動法人氷室冴子青春文学賞 木村 聡 ●氷室冴子とは 1957年、北海道生まれ。藤女子大学国文学科卒業。『さようならアルルカン』で集英社の青春小説新人賞に佳作入選。累計800万部のヒットとなった「なんて素敵にジャパネスク」シリーズ、スタジオジブリによってアニメ化された『海がきこえる』などを執筆した少女小説家。集英社の少女小説レーベル「コバルト文庫」の看板作家として人気を博す。2008年6月逝去。 ●第一回 氷室冴子青春文学賞はこちら 主催 特定非営利活動法人氷室冴子青春文学賞 特別協力 エブリスタ

コンテストの注意事項(必読)