yom yom短編小説コンテスト

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yomyom 西村編集長のひとこと

何年たってもなぜか蘇る情景ってありますよね。
よいことでも、早く忘れたいはずのことでも、
あるいは空想が紡ぎ出した架空の世界の出来事でも。
ふとした折々、記憶のスクリーンに自動再生で映し出されてくるようなストーリー。
それはきっと、私たちにとって人生の大切な何かが姿を見せてくれた瞬間だと思うのです。
短編小説は、やっぱりただの「短い話」ではありませんでした。物語を通じてたくさんの方々の大切な何かに出会えたことが、とても幸せです。

【心の「負のスパイラル」を巧みに避ける主人公】他人事のように言ってみますが、結婚生活の闇は深いです。好き合っていたはずなのに、いまや相手が目の前にいるだけで腹が立つ。愛らしく思えた好き嫌いは幼稚な偏狭さにしか感じられず、それにメニューを合わせてた自分の初期設定が呪わしい。会社から持ち帰ってくる愚痴話も、よく聞けば小心者の支配欲がダダ漏れで、つまりは心の下水じゃないか。こっちは下水処理場かよ。もうなにこいつウザいわ息とかすんな。などと口にしかねない状態の自分に気付くと、私たちはある時、思いますね。はっ、闇堕ち? できればそんな醜い人間になりたくない。でも、こういうことって気付いた方が、思ってしまった方がハンデ戦を強いられて、惚けた顔でウィンナーをもぐもぐしている相手との認識ギャップを埋めるのは容易でない。本作「毛っこん」は、そんな心の袋小路に入ってしまった妻の物語です。夫である遼輔の毛が家中の至る所に落ちている。頭髪や陰毛だけではなく、もうなんだかよくわからない大量の毛。それを除ききれずに途方に暮れる由加里の悶々は、実は毛そのものに対してというよりも、夫の気配に取り囲まれていることから生じているのでしょう。普段の由加里はきっと、夫の前ではできるかぎり微笑んでいます。 「ただいま」の声で機嫌の善し悪しを判断し、 「すごいねえ」と相槌を打ってやる。友達に会うのに渋い顔をされたら、思わず焦ってうろたえてしまう。おそらくどんな夫婦にも(つまりはDVとかが起きなくたって)埋め込まれている関係性であろう、一方的に我慢してしまう人の姿が、 「そこら中の毛」というきっかけからリアルに立ち上がってきます。でも、これもどんな夫婦にもあることでしょうが、人は一方的に我慢し続けることはまずできない。セレブの私生活を想像しながら、そこにも毛(夫の気配)の問題が纏わり付いていることを、由加里は本当は知っています。誰のお風呂にも毛が浮くことぐらい、この少し理屈っぽい由加里が分からないはずないですから。あるいは、ピントのずれた友人のアドバイスで、張り詰めた気持ちをゆるめることができるのですから。この由加里のしぶとさが、また本作の魅力だと思います。いや、遼輔はバカなんですけど、犬と狸の区別もつかないくせにありがちな社会正義を振り回すバカなんですけど、だからといって「遼輔が自分よりも下だと思えたから許す」みたいな負のスパイラルを巧みに避ける彼女の人生巧者っぷりが素敵です。耳かきの先の白い綿の名前を遼輔がさくっと言えてよかったです。他者とは、いつも思いがけないタイミングで心の袋小路を抜けるヒントを投げ込んでくる、そういう存在なのかもしれません。

心の「負のスパイラル」を巧みに避ける主人公
他人事のように言ってみますが、結婚生活の闇は深いです。好き合っていたはずなのに、いまや相手が目の前にいるだけで腹が立つ。愛らしく思えた好き嫌いは幼稚な偏狭さにしか感じられず、それにメニューを合わせてた自分の初期設定が呪わしい。会社から持ち帰ってくる愚痴話も、よく聞けば小心者の支配欲がダダ漏れで、つまりは心の下水じゃないか。こっちは下水処理場かよ。もうなにこいつウザいわ息とかすんな。などと口にしかねない状態の自分に気付くと、私たちはある時、思いますね。はっ、闇堕ち? できればそんな醜い人間になりたくない。でも、こういうことって気付いた方が、思ってしまった方がハンデ戦を強いられて、惚けた顔でウィンナーをもぐもぐしている相手との認識ギャップを埋めるのは容易でない。本作「毛っこん」は、そんな心の袋小路に入ってしまった妻の物語です。夫である遼輔の毛が家中の至る所に落ちている。頭髪や陰毛だけではなく、もうなんだかよくわからない大量の毛。それを除ききれずに途方に暮れる由加里の悶々は、実は毛そのものに対してというよりも、夫の気配に取り囲まれていることから生じているのでしょう。普段の由加里はきっと、夫の前ではできるかぎり微笑んでいます。 「ただいま」の声で機嫌の善し悪しを判断し、 「すごいねえ」と相槌を打ってやる。友達に会うのに渋い顔をされたら、思わず焦ってうろたえてしまう。おそらくどんな夫婦にも(つまりはDVとかが起きなくたって)埋め込まれている関係性であろう、一方的に我慢してしまう人の姿が、 「そこら中の毛」というきっかけからリアルに立ち上がってきます。でも、これもどんな夫婦にもあることでしょうが、人は一方的に我慢し続けることはまずできない。セレブの私生活を想像しながら、そこにも毛(夫の気配)の問題が纏わり付いていることを、由加里は本当は知っています。誰のお風呂にも毛が浮くことぐらい、この少し理屈っぽい由加里が分からないはずないですから。あるいは、ピントのずれた友人のアドバイスで、張り詰めた気持ちをゆるめることができるのですから。この由加里のしぶとさが、また本作の魅力だと思います。いや、遼輔はバカなんですけど、犬と狸の区別もつかないくせにありがちな社会正義を振り回すバカなんですけど、だからといって「遼輔が自分よりも下だと思えたから許す」みたいな負のスパイラルを巧みに避ける彼女の人生巧者っぷりが素敵です。耳かきの先の白い綿の名前を遼輔がさくっと言えてよかったです。他者とは、いつも思いがけないタイミングで心の袋小路を抜けるヒントを投げ込んでくる、そういう存在なのかもしれません。

【「わからない/でも知りたい」を揺れ動く主人公の心】表現形式としての小説が備えている特徴の一つに、「視点」の存在があります。読者と五感を共有しながら物語の世界を見たり感じたりする登場人物を「視点人物」と呼び、この視点人物が分からないことは読者も分からないというのが大前提。もちろん「神の視点」といって、作者(物語の世界のことを何でも知っている人)の声を代弁するナレーションで構成される小説もありますが、大雑把に言えばこの神の視点から次第に離れていったのが近代小説の歴史です。神の視点ならいつでもなんでも書けるのに、なぜ不便な方法を選ぶのか。それは誰かの心の中を知りたいという問題が、我々にとって最強に切実なテーマだからではないでしょうか。「あの人はどんな気持ちだろう」「何を考えているのだろう」。それは答えを捕まえたと思ったら逃げられてしまう永遠の謎です。誰でも一瞬先には考えを一八〇度変えるかもしれません。「自分はこう考えて結論を出した」と当人が認識していることだって、本当はぜんぜん違う理由なのかもしれません。愛しているから抱きしめた、んじゃなくて、そういう雰囲気に酔っちゃっただけかもしれないわけです。本作「粉もん」は、この「相手のことがわからない」という小説の面白さが最大限に生きています。視点人物である主人公の明日美(掲載部では名前未出です)の心の揺れ動き、彼女を通じて見えてくるコクラの心の揺れ動きが繊細に捉えられ、読み手の気持ちを離しません。友達の身代わりとしてデートに出かけた明日美は、コクラと大阪の街を歩きながら「想像していたより声が低かった」「かわいらしい目の下に小さなホクロがある」と彼についての小さな発見を積み重ね、次第に心を惹かれます。方言を巧みに使って描かれる、二人が互いの住む土地の違いを意識しながら重ねる会話も、自分はこの人とどこが同じでどこが違うのかを気付かぬうちに手探りしているような、恋愛最初期ならではの味わいです。そして、上記のように明日美の名前が最後まで出ないことも、上手いなと思いました。沙耶の身代わりで出かけた明日美はコクラの前ではあくまで沙耶で……つまり彼女自身はコクラについての発見を重ねながらも、コクラの方が自分のことを発見してくれているかは不確かなのです。コクラに対してのみならず、読者に対しても明日美の名前を明かさないことによって、彼女が抱えている切ない不安定さが理屈抜きに伝わってくるように思います。終盤やや展開が強引なところがあったのは残念ですが、「わからない/でも知りたい」「わかって欲しい/でも伝えられない」を揺れ動く、小説ならではの魅力に富んだ作品でした。

「わからない/でも知りたい」を揺れ動く主人公の心
表現形式としての小説が備えている特徴の一つに、「視点」の存在があります。読者と五感を共有しながら物語の世界を見たり感じたりする登場人物を「視点人物」と呼び、この視点人物が分からないことは読者も分からないというのが大前提。もちろん「神の視点」といって、作者(物語の世界のことを何でも知っている人)の声を代弁するナレーションで構成される小説もありますが、大雑把に言えばこの神の視点から次第に離れていったのが近代小説の歴史です。神の視点ならいつでもなんでも書けるのに、なぜ不便な方法を選ぶのか。それは誰かの心の中を知りたいという問題が、我々にとって最強に切実なテーマだからではないでしょうか。「あの人はどんな気持ちだろう」「何を考えているのだろう」。それは答えを捕まえたと思ったら逃げられてしまう永遠の謎です。誰でも一瞬先には考えを一八〇度変えるかもしれません。「自分はこう考えて結論を出した」と当人が認識していることだって、本当はぜんぜん違う理由なのかもしれません。愛しているから抱きしめた、んじゃなくて、そういう雰囲気に酔っちゃっただけかもしれないわけです。本作「粉もん」は、この「相手のことがわからない」という小説の面白さが最大限に生きています。視点人物である主人公の明日美(掲載部では名前未出です)の心の揺れ動き、彼女を通じて見えてくるコクラの心の揺れ動きが繊細に捉えられ、読み手の気持ちを離しません。友達の身代わりとしてデートに出かけた明日美は、コクラと大阪の街を歩きながら「想像していたより声が低かった」「かわいらしい目の下に小さなホクロがある」と彼についての小さな発見を積み重ね、次第に心を惹かれます。方言を巧みに使って描かれる、二人が互いの住む土地の違いを意識しながら重ねる会話も、自分はこの人とどこが同じでどこが違うのかを気付かぬうちに手探りしているような、恋愛最初期ならではの味わいです。そして、上記のように明日美の名前が最後まで出ないことも、上手いなと思いました。沙耶の身代わりで出かけた明日美はコクラの前ではあくまで沙耶で……つまり彼女自身はコクラについての発見を重ねながらも、コクラの方が自分のことを発見してくれているかは不確かなのです。コクラに対してのみならず、読者に対しても明日美の名前を明かさないことによって、彼女が抱えている切ない不安定さが理屈抜きに伝わってくるように思います。終盤やや展開が強引なところがあったのは残念ですが、「わからない/でも知りたい」「わかって欲しい/でも伝えられない」を揺れ動く、小説ならではの魅力に富んだ作品でした。

【からっぽのはずのわたしに思いがけず詰まっていた「物語」】主にSNSの言葉として、「~み」というのがあります。「ねむい」と言うところを「ねむみしかない」と表現するアレです。これには「他人事っぽく語って主体の関わりや存在を隠す心理が働いている」という分析がしばしばなされ、私もそうだろうなとは感じます。ただし「だからけしからん」という批判にまでなると、待ってくれとも思うのです。八〇年代中盤、当時の若者「新人類」に向かう批判として「奴らは自己紹介で『ボクって〇〇なヒトじゃないですかぁ?』などという。なんだその他人事のようなモノ言いは!」みたいなものがありました。この「〇〇なヒト」も同じだと思うのですよ「~み」という表現と。話者が主体として前面に出るのを忌避しようとする感覚が。つまり私たちは今も昔も、剥き出しになるのがどうにも怖い。隠れることの善し悪しは別にして、怖いものは怖いのです。合コンでも「今日はこういうキャラで行っとくか」と考えたりしますでしょう。あれだって、あらかじめ自分をキャラ付けしておかないと不安だからじゃないですか?本作の愛美は「自撮り女子」。彼女は「可愛らしいものや綺麗なものに囲まれている自分」を写真に撮ります。そうやって自分にお姫様キャラをキャラ付けし、SNS上で大勢から「いいね」をもらうことによって再確認を行っている。でも素の愛美は地味な女です。彼女のイタさは周囲の人にも丸見えで、私は最初、「嘘で塗り固めたインスタ映えする写真のカラクリを暴露して嘲笑する類いの話なのかなー」と思って読んでいたのですが、その予想は見事に裏切られました(よい方に)。キャラで覆った内側はからっぽでしかないと、おそらく本人ですら考えていた愛美には、思いがけず「物語」が詰まっています。彼女は自分の対極にいるような「『世界』を創造できる」ハンドクラフト作家の作品に、無自覚のまま敏感に反応します。のみならず、その作家の「Bluffman」という活動名からも滲み出ている、こちらはこちらでキャラ付けなどという器用な真似に縁遠い、痛々しさすら伴う自意識をあくまで素直に受け止めます(bluffは英語で「はったり」です)。作者・遠野しまさんの視線は、自分にキャラ付けをせずにはいられない愛美にも、まるで自傷行為のようにキャラ付けを否定せずにはいられない「Bluffman」にも、あくまで等分に温かいのです。「Bluffman」の描かれ方がややステレオタイプなところが、(ステレオタイプとはつまりキャラ付けされた人物造形のことであり、キャラ付けを否定しても結局はステレオタイプの外に出られないという皮肉なのだとしても)少し残念なのですが、自意識というやっかいな代物に誠実に向き合う佳作でした。

からっぽのはずのわたしに思いがけず詰まっていた「物語」
主にSNSの言葉として、「~み」というのがあります。「ねむい」と言うところを「ねむみしかない」と表現するアレです。これには「他人事っぽく語って主体の関わりや存在を隠す心理が働いている」という分析がしばしばなされ、私もそうだろうなとは感じます。ただし「だからけしからん」という批判にまでなると、待ってくれとも思うのです。八〇年代中盤、当時の若者「新人類」に向かう批判として「奴らは自己紹介で『ボクって〇〇なヒトじゃないですかぁ?』などという。なんだその他人事のようなモノ言いは!」みたいなものがありました。この「〇〇なヒト」も同じだと思うのですよ「~み」という表現と。話者が主体として前面に出るのを忌避しようとする感覚が。つまり私たちは今も昔も、剥き出しになるのがどうにも怖い。隠れることの善し悪しは別にして、怖いものは怖いのです。合コンでも「今日はこういうキャラで行っとくか」と考えたりしますでしょう。あれだって、あらかじめ自分をキャラ付けしておかないと不安だからじゃないですか?本作の愛美は「自撮り女子」。彼女は「可愛らしいものや綺麗なものに囲まれている自分」を写真に撮ります。そうやって自分にお姫様キャラをキャラ付けし、SNS上で大勢から「いいね」をもらうことによって再確認を行っている。でも素の愛美は地味な女です。彼女のイタさは周囲の人にも丸見えで、私は最初、「嘘で塗り固めたインスタ映えする写真のカラクリを暴露して嘲笑する類いの話なのかなー」と思って読んでいたのですが、その予想は見事に裏切られました(よい方に)。キャラで覆った内側はからっぽでしかないと、おそらく本人ですら考えていた愛美には、思いがけず「物語」が詰まっています。彼女は自分の対極にいるような「『世界』を創造できる」ハンドクラフト作家の作品に、無自覚のまま敏感に反応します。のみならず、その作家の「Bluffman」という活動名からも滲み出ている、こちらはこちらでキャラ付けなどという器用な真似に縁遠い、痛々しさすら伴う自意識をあくまで素直に受け止めます(bluffは英語で「はったり」です)。作者・遠野しまさんの視線は、自分にキャラ付けをせずにはいられない愛美にも、まるで自傷行為のようにキャラ付けを否定せずにはいられない「Bluffman」にも、あくまで等分に温かいのです。「Bluffman」の描かれ方がややステレオタイプなところが、(ステレオタイプとはつまりキャラ付けされた人物造形のことであり、キャラ付けを否定しても結局はステレオタイプの外に出られないという皮肉なのだとしても)少し残念なのですが、自意識というやっかいな代物に誠実に向き合う佳作でした。

ダイキとの間に友情が育っていたと思うのは、自分だけの滑稽な勘違いだったのかもしれない。それでも「僕」は、彼との時間を全否定する気持ちになれません。「僕」が風鈴を割る最終部は、過去と決別する意思表明です。しかし、一方でその意思とはまた別に、物語には終始、ダイキを思う気持ちが静かに流れ続けています。その切ない情感に惹かれました。

ギャンブルやボードゲームなどをテーマにした小説は、ルールを知らない読者が楽しみにくいという問題があります。だからといってゲームの展開部分を省いてしまうと、今度は知っている読者が楽しめない。このジレンマが、一つの敗戦が広瀬から奪った青春の熱や、いま甦ってきた情熱の姿を鮮やかに描き出すことで、見事に乗り越えられたと思います。

鮮やかな紅葉の散る中で出会う黄金色の狐。苔に覆われた岩の向こうに煌めく渓流……。生に行き詰まった中年男を包み込む情景は、まるで優しい異界のよう。この世の彼岸を夢みてしまう瞬間は誰にも訪れるものですが、そんな大人のファンタジーを受け止めてくれる綺譚です。

極限まで愛している相手に、死による永遠性を与えたい――。そんなモチーフを描く物語は古今東西いくつかありそうですが、本作の魅力はそこにミステリ的な仕掛けを盛り込んだことです。死と官能のイメージが交錯する中に巧みに盛り込まれた伏線の数々。ぜひ全文を読んで、謎解きと情念の競演をお楽しみください。

早すぎた結婚の決意は、しばしば残酷な結末を迎えます。やがて世間が見え始め、自分はそれほど誠実ではないと思い知る。悠太郎もそうした変化に翻弄されつつ、精一杯の優しさで八千代に告白を行います。二人のやりとりに心を揺さぶられずにいられません。そして、そんな彼に用意された運命は、人間の罪深さを静かに物語っているようです。

売る青、買う春

売る青、買う春

売春。

三嶋 こいこ

憎いのは現実の醜さではなくて、そこから目を背ける自分だ――。カンナが手にした発見が、鮮やかな肯定感と共に描かれます。短編小説が探すべき「人生の大切な何かが姿を見せてくれた瞬間」って、こういうことだと実感しました。

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yomyom編集長 一問一答

作家のみなさんの創作活動に関する質問に、yom yom西村博一編集長がお答えします。質問投稿はTwitterのつぶやきに「#ヨムエブ」のハッシュタグを入れて呟くだけ!回答は毎週木曜、イベントページ内に更新!

※採用された一問一答はyom yom別冊号に掲載されます。
※編集長が回答する質問はエブリスタ編集部で集約・編集します。すべての質問に回答できるわけではないことを予めご了承ください。

今週の一問一答

純鈍@E☆加筆修正中

魅力的なキャラクターとは、どの様なキャラクターのことを言いますか?

#ヨムエブ

2017.11.30

yomyom 編集長


変な人ならキャラ立ちするのか?
二カ月にわたってお付き合いいただいた本コーナーも、今回の回答が最後です。お寄せいただいたすべての質問にお答えできなくて申し訳ありません。
ただ、直接的なお答えは掲載できなくても、根っこは同じ問題というケースはたくさんあったように思います。これまで述べてきた論点は、要約すれば「自分の中に誕生した物語の輪郭を自分で掴む方法」と「(その物語を)誰かに伝わる形にする方法」をいかに工夫するかの二つに尽きます。私たち編集者が作家の皆さんのお手伝いをする時も、この二つのテーマをめぐって、作品の中に出現した様々な問題点の解消を図ってゆくわけです。割合とシンプルな話です。そのシンプルなテーマをひたすら追いかけ続けるからこそ、小説家ってすごい人たちだなと心底思うわけですが。
さて、キャラクターについてです。「キャラを立たせるにはどうしたらいいか」は、確かに大事な問題ですよね。で、その回答として、「変人を出すとよい」「ギャップが大事(いわゆるツンデレとか、ああいうことですね)」などと言われたりするわけです。
その回答自体が間違いだとは申しません。が、登場人物に奇矯な行動をさせれば自動的に「キャラ立ち」するわけでもないと思うのです。
たとえばの話ですけれども、ただ単に変なおじさんが全裸で頭にネクタイ巻いて踊りながら登場してくれば、それで面白いですか? その奇矯さが物語ときちんと結びついていなければ、読者は冷めてしまうだけだと思います。キャラクターたちの奇妙な言い回しも特殊な癖も、あるいはいつもどんな服を着ているかだって、すべては「その登場人物にふさわしい特性だからこそ備えている」ものであって欲しいのです。
yom yomに連載中の「猫河原家の人びと」(青柳碧人さん)は、主人公以外の家族みんなが(自称)名探偵という、ちょっと変わった設定のミステリです。詳しくは誌面に譲りますが、主人公を無理矢理巻き込んで、お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さんたちがいつも推理合戦を繰り返す。
とりわけ変な人なのが、横溝正史の私立探偵・金田一耕助ばりに、もじゃもじゃの長髪をかきむしりながら民俗学的アプローチを繰り出してくるお兄さん。でも彼は、決して単純に「これならキャラ立ちするでしょ?」というような発想で誕生したキャラクターではないのです。
この作品にたくさんの“名探偵”が登場する背景には、一種の「タイプ別名探偵推理バトル」を展開してみたいという著者・青柳さんの構想があったのだと思います。ですから、この変人たちは作品においてミステリのいくつかの典型的な系譜を代表するという確かな役割がありますし、その「変さ」が、ちょっと生真面目すぎるところがあってテンパりがちな主人公の女の子を癒やしてくれるというような役割もあります。
そういう、設定上の要請を満たした上で導き出されてくる「変さ」。これを備えた時に初めて、そのキャラは物語と結びつき、「立つ」と言えるのではないでしょうか?

その人に「ギャップ」が備わった背景のドラマ
あるいはギャップの問題。たとえば、窮地に陥った誰かの心の機微を汲み取り、人生の英知を与えるような役割の登場人物がいたとします。普通に発想すれば老人ですとか、そうでなくとも判断力に富んだオトナとか、成熟性を身にまとったキャラが順当な気がします。このキャラを、あえて幼い少女にしたとしましょう。ギャップが発生しますよね。
でもこのギャップ(=ジャンプ)も、あくまでも物語が要請する性格を踏まえた上でのジャンプであって欲しいのです。ただなんとなく「女の子がボスキャラだとウケそうだから」、みたいなところで決まってしまっては困るわけです。
言い換えれば、ギャップを作るならそのギャップの存在する理由も考えたいのです。小さな女の子が誰かの人生にお裁きを下す立場に立っている、なぜだろう。なぜ彼女は幼いのに深い叡智を身につけているのか。その短い人生の今日に至るまでには、どんなドラマがあったのか……。その理由(背景)にこそ、物語の素晴らしい素材が眠っているはずです。
猫耳つけて語尾は「ニャン!」で、メイド服着て不思議な言動を繰り返す萌えキャラが、実はその記号性(こういうのってあるよね、という様々な感じ)を、自律的、主体的に人格として選びとっていることが垣間見得た瞬間に、「ギャップ」は初めて魅力を持ち、意味を持ってくるのです。
皆さんだって、誰かが不思議な言動をした時に「え? なんで??」とお思いになるでしょう? それこそ「どういうキャラだ?」と不思議になる。
その背景に彼や彼女がそうする理由があって、「ああ、なるほどな」「そうなんだ」と納得できた瞬間に、皆さんはその人に“惹かれる”のではないでしょうか。
ただし、もうすでに頭の中になぜかキャラが浮かんでしまっているということもあるでしょう。そのキャラがはこんな変なところがあって、こんな服を着ていて……と具体的なイメージが自己主張していて、どうしてもこの人を書いてみたい、と。
いいですねえ。そのキャラには、間違いなく皆さんの書く物語の、一番大切な何かが染みこんでいるはずです。それならばここを出発点にして、自分はこのキャラを使って何を書きたいのだろう、それにはどんな舞台がふさわしいのだろう……と、設定を深めていくのもよいですし、あるいはもう、そのキャラクターを信用して物語を走り出させてしまうという手もあるでしょう。そしてどこかで書きあぐねたら、これまで記してきたように、プロットや視点といった「物語ツール」の活躍が始まるわけです。

まだまだ皆様からの質問を受付しております!質問の投稿は「#ヨムエブ」でツイート!

スケジュール&賞典

募集期間 2017年9月15日(金) 17:00:00~ 2017年11月30日(木) 23:59:59
結果発表 2018年3月16日(金)

●大賞(1作品)
・編集長講評
・yom yom本誌全文掲載
・別冊号掲載
・賞金3万円
●優秀賞(数作品)
・編集長講評
・yom yom本誌抄録掲載
・別冊号掲載
・賞金1万円
●入選(数作品)
・編集長講評
・yom yom本誌あらすじ掲載
・別冊号掲載

募集内容

「yom yom短編小説コンテスト」は、創刊10周年を迎えた新潮社の文芸誌「yom yom」に作品が掲載され、編集長から作品講評がもらえるコンテストです。入賞作品(大賞~入選)は講評と共に、2018年4月号(3月16日配信)のyom yom本誌で紹介されます。また、受賞作品と講評が載る別冊号も刊行され、エブリスタが主催/出展するイベントにて販売します。

さらに、コンテスト募集期間中、「編集長一問一答!」を同時開催!作家のみなさんの創作活動に関する質問に、yom yom西村博一編集長がお答えします。質問投稿はTwitterのつぶやきに「#ヨムエブ」のハッシュタグを入れて呟くだけ!回答は毎週木曜日、イベントページ内に更新されます。

※採用された一問一答はyom yom別冊号に掲載されます。
※編集長が回答する質問はエブリスタ編集部で集約・編集します。すべての質問に回答できるわけではないことを予めご了承ください。

【yom yom西村編集長のひとこと】
何年たっても蘇る光景ってありますよね。よいことでも、あるいは早く忘れたいような出来事でも、なぜか時どき心が自動再生を始めるような。それはきっと、あなたにとって人生の真実が姿を見せた瞬間です。短編小説は、ただの「短い話」ではありません。たくさんの方々の描く真実の瞬間に出会えることを楽しみにしています。

応募要項

1)5000字~20000字の短編小説作品 2)完結必須 3)ジャンルは自由です

※お一人様、何作品でも応募頂くことが可能です。

※新作推奨ですが、過去作・他の賞で落選した作品を上記の形に再構成して応募戴くのも歓迎です。

※エブリスタ内の他公式イベント(重複応募を許容しているイベント)との重複応募も可能です。

※エブリスタ上での有料作品・無料作品のどちらでも応募可能です。

※非公開作品は審査対象外となります。

※エブリスタ内の公式イベントや、他サイト等の文学賞で過去に受賞した作品は選考対象外とします。

※応募締切り後の作品編集可。ただし、審査は、締め切り時点2017年11月30日(木)23:59:59のデータで行います。

※文字数カウント(空白・改行を除く)/旧文字数カウント(空白・改行を含む)どちらかで文字数を満たしていれば応募可能です。

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