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[17] 対峙

 ―――すみません、博士。

 金田は朦朧とした頭で詫びた。

 ―――ここはどこなのだろう?

 目を開けようにも、

まるで自分のものではなくなったかのように

瞼はピクリとも動かない。

 ただ目の前には人の気配がある。

 乳白色に包まれたぼんやりとした視界の中に、

水野慎一郎がこちらをじっと見つめているように感じた。

 ―――すみません、博士。

 金田は再び詫びた。

***

「――謝るのは、そのぐらいにしておきたまえ」

 低い声が言った。

 目の前の男は、頭痛でもするかのように片手で眉の上を揉みほぐしている。

 ぐったりと身体を椅子に預けたまま、金田は男を見た。

 ぴったりとオールバックにした黒髪に浅黒い精悍な顔立ち、

手の下から現われた灰色の鋭い眼。

 上等なスーツをゆったりと着こなし、悠然と椅子に腰を下ろしている。

 ユージン・Kは片眉をつり上げ、視線を上げた。

 軽い目配せに、金田の両脇に控えていた2人の男が脇に退く。

 ホテルの一室だ。

 金田は研究所から、

真庭グランドホテルのこの部屋に連れてこられた。

 その間、ユージン・Kは金田の手を縛ることも目隠しをすることもなかった。

 両脇から彼の部下がぴったりと張り付いていただけだ。

 だが、金田はそれだけで動けなかった。

 途中何度も逃げ出そうと考えたものの、

考えただけで実際に行動には移せなかった。

 目の前の男の雰囲気に、完全に呑まれていた。

 そして、今――。

 金田は殴られ、

壊れて針が飛んだアナログレコードのように

同じ言葉を繰り返している。

「――すみません……」

 ユージン・Kが眉をひそめた。

 その表情は、不快というよりは不可解そうに見えた。

「何をさっきから謝る? 私が聞きたいのはそんな言葉ではない」

 言って、ユージン・Kは椅子から立ち上がった。

 ゆらり、と辺りの空気が揺れたように感じられた。

 そのまま、ユージン・Kは金田の目の前に立った。

 金田は俯いて床に視線を落す。

 視線の先にユージン・Kの革靴が見えた。

 金田が正視できるのは、この男の靴がせいぜいだ。

 とてもじゃないが、灰色の眼はまともに見られそうにない。

 金田はユージン・Kが恐ろしかった。

 それは、ただ単に銃をつきつけられたせいばかりではない。

2

 人としてのあり様……

住む世界、存在感、意思の力……

ユージン・Kのあらゆるものが金田の理解を超えていた。

「……もう一度訊こう。オリジナルはどこだ」

 その言葉に、金田は首をすくめた。

 今にも殴られそうな気がしている。

 だが、予想とは違い、

両脇に控えたユージン・Kの部下が動きだすことはなかった。

 不意に、視界が暗くなった。

 視線を上げると、目の前にユージン・Kの顔が迫っていた。

「金田、君は科学者だ。

実験を重ね、データを集めて比較検証し、

分析同定することで解答を得る。

正しい手順を踏めば、分析結果は必ず正しい解答に君を導く

……君ならわかるはずだ。

今ここで行われている我々の実験が、どのような結果をもたらすか。

そして、そこに必要な要素は『何か』を」

 低い囁くような声が、金田の中に入り込んできた。

「さあ、言いたまえ。これ以上、私に君を傷つけさせてくれるな」

 金田はじっとユージン・Kの眼を見つめた。

 見ただけで、相手をすくみ上がらせる視線だと思う。

 現に金田は蛇に睨まれたカエルのように動けなくなっていた。

「……オリジナルはどこだ」

 静かな迫力に満ちた声に、金田はゆるゆると首を振った。

 ―――それだけは言えない。

 水野は自分を信用して、金田にだけ在処を教えていった。

 パンドゥーラのオリジナル。

 水野が目の前のこの男とともに北限の地で発見し、

持ち帰った改良を加えられていない原型(オリジナル)。

 その在処を口にしては、水野の信頼を裏切ることになる。

 だが――。

 目の前の男は容赦しないだろう。

 いつまでこの緊張に耐えられるか、金田にはまるで自信がない。

 何より骨が軋むほどに殴られた先ほどの痛みが、

頬や腹に疼くような熱となって残っていた。

 このまま殴られ続けていたなら、いずれ骨が折れるか内臓がやられる。

 それ以前に、再び銃をつきつけられ……殺されてしまうかもしれない。

 ―――怖い。

 金田の身体は震えていた。

「――さあ、言いたまえ」

 思いのほか、優しい声色でユージン・Kは言った。

 屈しそうになる。

 すべて話して楽になってしまえと、頭のどこかで声がする。

 もう殴られたくない。

 痛みはこりごりだ。

 このまま殺されるぐらいなら、すべて言ってしまおう……。

 ―――いや、ダメだ。

 そう別の声がする。

3

 ―――博士の恩を忘れたのか?

 大学でも、そして研究所でも世話になり続けている。

 ことあるごとに食事や飲みに連れて行ってもらい、

家族のように面倒を見てくれていたじゃないか。

 そんな博士を裏切るのか?

 けれど……。

 ―――怖い。

 金田の中で、相反するふたつの声が響き合った。

 やがて、灰色の眼を見つめたまま、金田は静かに頷いていた。

***

 ―――すみません、博士。

 金田は、目の前の影に詫びた。

 僕は話してしまいました。

 何よりあなたが守りたいと思っていた、あの秘密の場所を。

 パンドゥーラのオリジナルの在処を。

 遠くから蜂の羽音が聞こえてくる。

 それとともに、辺りを包む乳白色の霧が濃くなったように感じられる。

 急速に、すべてが色を失くしていった。

 音も、色も、すべて消えていく。

 やがて、目の前の優しい面影が霧に溶け、

金田は真っ白な世界に沈み込んでいった。

***

 久弥は微かに眉をひそめた。

 インターフォンの向こうから、耳を聾する悲鳴が響いてきた。

「――アル、聞こえますか」

 落ち着いた声で語りかけると、ノイズとともに何かが聞こえた。

 アルは走っているらしい。

 ゼェゼェと苦しげな息遣いが間近に感じられる。

「アル。現在位置を報告なさい」

 アルは少し遅れて「はい」と答えた。

「第5階層、バルコニーより船内に入った廊下

……廊下を移動中です」

「パンドゥーラは?」

「我々の後ろに――」

 アルが言いかけた時、再び悲鳴が聞こえた。

 また仲間の1人が犠牲になったのだろう。

「Shit(くそ)!」

 アルが苦々しげに吐き捨てた。

「落ち着きなさい。いいですか、よく聞いてください」

「は、はいっ……!」

 アルはまだ走っているのだろう。

 荒い息遣いの間から、しぼり出すように答えた。

「これから私の所まで誘導なさい」

「は? しかし――」

 その時、ノイズとともに別の音声が漏れた。

「久弥、何を考えている?」

 ―――ミストラルだ。

 オープン・アクティブの会話をすべて聞いていたのだろう。

 久弥はため息とともに答える。

「ミストラル。あなたは今、私と話している暇はないはずです。

あなたはランカスターの相手をなさい。

私がパンドゥーラを誘導します」

 再び、ノイズとともに別の声。

4

「久弥、無理はするな」

 低い声に、久弥は笑みを浮かべた。

「ご心配なく。我が王よ」

 久弥は言い終えると口調を変えた。

「アル。今言った通り、第4階層後部キャビンまでパンドゥーラを誘導せよ」

「……了解」

 アルの声とともに、イヤホンからすべての音声が遠のいた。

 視線を上げると、沢村が久弥を見つめていた。

「……少しは聞こえるようになりましたか?」

 薄く笑みを浮かべ、久弥は穏やかに訊いた。

「ああ」

 沢村が頷いて、軽く首を傾げた。

「パンドゥーラを誘導中?」

「そうです」

「さっきの揺れは何?」

 沢村は落ち着いた声で訊いた。

 先刻、船体を揺るがした振動について言ってるのだろう。

 ランカスター登場を知らせる、セラフィム・ファイアの息吹だ。

 衛星トロウンズから発射されたレーザーが

大気を裂いた際に生じる衝撃波で、

エバンジェリンは地震に見舞われたごとく船体を震わせたのだ。

 だが、そんなことは目の前の男が知る必要はない。

 久弥は静かに椅子から立ち上がった。

 そのまましなやかな足取りで部屋を横切る。

 ドアの手前で、久弥は沢村を振り返った。

 沢村の表情は変わらない。相変わらず冷めた無表情のままだ。

「あなたはここにいてください。

言うまでもないことですが、逃げようとしても無駄ですよ」

 言って、久弥は背を向けた。

 ドアを開けて廊下に出る。手早く鍵をかけると、廊下の先に視線を向けた。

 ―――パンドゥーラ、か。

 久弥は呟いて、笑みを浮かべた。

 それがどんなものかは知らない。

 興味もない。

 ただ、自分は必要なことをするだけ……それだけのことだ。

 すべては、王のために。

***

「ミサイル、目標より4・2キロの地点で消滅しました!」

 ノイズとともに、

無電池式電話のヘッドホンから

戦闘情報指揮室の緊張した部下の声が響く。

 今頃、部下の脳内では手順に従って各装置の点検と監視、

そして熱排気とミサイル再装填に至るまでのプロセスが

めまぐるしく回転しているはずだった。

 部下の声に頷きながら、グレンフォードは考えをめぐらせる。

 ランカスター艦長、ニール・グレンフォード。

 アメリカ海軍所属、階級大佐。

 銀髪と水色の眼、無駄を殺ぎ落とした細面の顔。

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