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終結編⑳運命 ─和也の章─







 涼さんが渚と面会し、メモリについて話を聞いた翌日。


 ピンクのマンションに集まって欲しいと、心ちゃんからメールが入った。


 渚が樋口から守り抜いた “NO1” と見られるメモリは、真貴子ママを追い込む為の最後の切り札だった。


 しかし中のデータが破損して復旧する事も不可能だったという結果を知らされ、窮地に陥っていたところで、涼さんから衝撃的な事を伝えられた。


「嘘だろ………彩香の母親が真貴子ママとか………。
 冗談きつすぎだろ………」


 豪もオレも朋美さんも、全員その場で愕然とした。


 ちなみに今日、この場にピンクの姿はない。


 父親が東京にいる間は『目黒ムーンホテル』で過ごすと聞いていたが、それは嘘で、真貴子ママとの親子関係を調べる為に、DNA鑑定を行う事にしたそうだ………。


「たぶん新村さんは鑑定結果が出るまで、ここには戻って来ないと思う」


 涼さんはそう言って息を吐き、朋美さんが「彩香ちゃん」と呟いて両手で顔を覆う。


「そんな………。
 彩香さん、今どこにいるんですか?
 どっかに心当たりはないですか?」


 涼さんは小さく首を横に振る。


 居ても立ってもいられず、携帯を取り出して電話しようとすると、向かいのソファーに座っている心ちゃんに止められた。


「和也君、今はやめといた方がいいよ」


「でもっ………こんな、こんな時に彩香さんを一人にしたら、」


「こんな時だからこそ、一人にさせてあげた方がいいよ。
 きっと新村さんは、今は誰にも会いたくないんじゃないかな………」


 心ちゃんは眉尻を下げてそう言った。


「もし俺が新村さんの立場だったらそうなるよ。
 新村さんは事件の事を全て知ってるわけだし………和也君達とは会いたくないって言うより、今はまだ会えないよ。
 朋美さんとはもっとかな………」


 気を遣いながら、心ちゃんは朋美さんをチラリと見る。

「だけど………彩香さんは何も悪くないのに、こんな状況で一人でいるなんて………」


「もちろん理屈はそうだけど、自分の母親だよ?
 簡単に割り切る事は出来ないよきっと」


 涼さんが頷く。


「俺も朝倉君の意見に賛成だな。
 彼女に対して、今俺達がしてやれる事は何もないよ。
 あるとすれば、彼女を信じて待ってあげる事だけだ」


 今度は豪が言う。


「けど………もしそういう結果が出たら、気にして帰って来れねぇかもしんねぇじゃねーか」


「確かにね………。
 それでも、待つしかないよ。
 彼女にとってもここが正念場なんだ。
 真実と向き合う為に」


「真実って………。
 くそっ、なんで真貴子ママが彩香の母親なんだよ。
 中大路澄子の方がよっぽどマシだったじゃねぇか。
 畜生っ!」


 誰がこんな展開を予想出来ただろう。


 彩香さんが向き合わなければならないもの、それがこんなにも残酷な事だなんて………。


 そして、その週の土曜日の朝になって、ピンクは帰って来た。


 真貴子ママと親子関係を証明するDNA検査の結果を持って………。


 たった数日間でやつれてしまったピンクを見て、朋美さんは泣いて抱きしめたそうだ。


 今にも消えてしまいそうな声で「ごめんなさい」と謝るピンクに、無事に帰って来てくれた、もうそれだけでいいと言って………。


 そしてもう、オレ達にとって残された最後の希望は、渚の伯父さんが生きていてくれる事。


 それだけだったのに………。





「あたしが殺したわけじゃないわ………。
 卓郎さんは………自殺したのよ………」


 予期せぬ事を告げられ、言葉を失っていると、豪が首を横に振って「嘘だ」と呟く。


 真貴子ママは落ち着いた口調で「嘘じゃないわ」と答える。


「嘘だ………ぜってぇ嘘だそんなの………。
 てめぇ………この期に及んでまだ言い逃れする気かよ。
 しかもそんなデタラメぬかしやがって!!」


 豪が真貴子ママに掴みかかろうとするのを、涼さんが素早く腕を掴んで止めた。


「落ち着けっ。
 ちょ………朝倉君頼む」


 豪が暴れるので、心ちゃんとオレで両サイドから腕を掴み、後ろのコーナー席へ着席させた。


 涼さんが改めて尋ねる。


「本当なんですか。
 一ノ瀬さんが………自殺したというのは」

2

 口調は静かでも、この時ばかりは涼さんも厳しい目付きをしていた。


「本当よ。
 その時の死亡診断書がうちにあるわ」


「なぜそんな事に………」


「武上さんの言う通りよ。
 6年前………卓郎さんは彩香があたしの娘である事を確信して話を持ちかけてきた。
 だから監禁して、メモリの在処を吐かせる為に自白剤を使って聞き出そうとした」


 涼さんさんはピクッと瞼を痙攣させて「自白剤?」と聞き返す。


「………何を使ったんだ」


 真貴子ママが「LSDよ」と答えると、心ちゃんが目を見開いて「LSDだって!?」と聞き返す。


「なんだよそのLSDって………」と、豪。


「麻薬の一種だよ。
 LSDは昔、自白剤として使われた事がある薬物なんだ。
 だけど自白剤としての効用は確立されてないし、そもそも自白剤なんてものは存在しないんだ。
 麻薬や覚醒剤で判断能力を失わせた状態で拷問にかけて、無理やり自白させているに過ぎない」


 涼さんは真貴子ママを見つめて「そう」と頷く。


「精神的にも肉体的にも限界まで追い詰めて話を聞き出す残酷なやり方だ。
 LSDを過剰に投与すれば、精神を病んで廃人のようになったり、場合によっては死に至る事もある………。
 あなたも、そのぐらいの知識は持っていたんじゃないですか?」


 真貴子ママは小さく「そうね」と呟く。


「じゃあ………やっぱりおまえが殺したって事じゃねぇかよっ!」


 豪は床をバン!と蹴って真貴子ママに向かって吠える。


「一ノ瀬さんはLSDによって精神に異常をきたし、自殺した………。
 そういう事ですか?」


 真貴子ママが首を横に振って否定すると、豪が「嘘つけ!」と怒鳴る。


 涼さんは横目で豪を見て「シッ」と注意する。


「落ち着け。
 ………いったいどういう事なのか、20年前の事件まで遡って、順を追って説明してもらえますか」


「ええ………。
 その前に、お水をもらえないかしら。
 少し喉が渇いたわ」


 さすがに緊張しているのか、真貴子ママは唇を舐めてかすみママを見る。


 かすみママは険しい顔で真貴子ママを睨みながら、ミネラルウォーターをグラスに注いで出した。


 それを飲んで、真貴子ママは静かに語り始める。


「………愛美との事についても、武上さんの推測通りよ。
 あたしは愛美を殺すつもりなんてなかった。
ただ、愛美に手切れ金を渡して縁を切るつもりだった」

3

「手切れ金を?」


「ええ、そう。
 愛美は昔からあたしと澄子にとって疫病神だったのよ。
 施設にいた時からね」


 疫病神………。


 小泉という人物から聞いた話を思い出しながら、真貴子ママの話に耳を傾ける。


「澄子とあたしは年も同じで、一番仲のいい親友だった。
 中学を卒業したら施設を出て、二人で一緒に暮そうって話してた。
 だけど14の時………澄子が妊娠した事がわかったのよ」


「妊娠? まさかそれは………」


 真貴子ママはもう一口水を飲んで頷く。


「そう。
 あの施設の変態園長、虻川に犯されて出来た子供よ」


 思わず息を呑んだ。


 真貴子ママ達が施設にいた頃に受けていた虐待とは、そういう事だったのか………。


「虻川はロリコンだったのよ。
 あの施設にいた女の子は、少し胸が膨らみ始めた頃から全員虻川に手を付けられてる。
 中には小学三年生で犯された子もいたぐらい。
 ………それまでどんな目に遭っても我慢してきたけど、さすがに我慢の限界だった。
 あたしと澄子は施設を出る計画を立てた。
 荷物をまとめて駅のコインロッカーに預けておいて、就寝時間を狙ってあらかじめ盗み出しておいた金庫の鍵を使って施設の金を盗んだの。
 そしてそのまま施設から逃げるつもりだった。
 だけど施設の玄関を出ようとしたところで、運悪く見付かったのよ。
 トイレに起きてきた愛美にね………」


「………」


「二人でどこに行くんだって泣いてすがってきて、自分も一緒に行くって言い出した。
 冗談じゃないって、その場で愛美を突き放したわ。
 愛美とは物心がついた頃からあの施設で一緒に育ってきたけど、昔から大嫌いだったのよ。
 甘ったれでだらしなくて、その上不潔で………いつも耳の後ろが汚れてるような女だったわ」


 それを聞いてぼんやりとだが、尾沢愛美の人物像が見えてきたような気がした。


「それでも愛美は食い下がってきて、そのうちこちらの声に気付かれて、今度は最悪な事に虻川に見付かってしまった………。
 あたし達三人は風呂場に連れて行かれて、熱湯のシャワーをかけられて何度も殴られた。
 その日は12月に入ったばかりの時期で、濡れた格好のまま外の物置に閉じ込められて………寒さに震えているうちに、澄子がお腹が痛いって言い出して、その場で流産したのよ」

4

 あまりに酷い話で、オレは真貴子ママから顔を逸した。


「血を流して顔が青ざめていく澄子を見て焦ったわ。
 それに金を盗んだ事が虻川にバレたら、もっとひどい目に合わされるとも思った」


「その地点ではまだ、見付かっていなかったんですか?」と、涼さん。


「ええ。
 金庫から盗んだ金は下着の中に隠してたの。
 だけど虻川は毎朝金庫から金を持ち出してパチンコに向かう習慣があったから、朝になれば絶対に見つかってしまう………。
 だから何としてでも夜が明ける前に抜け出す必要があった。
 幸い物置の中に工具箱があったから、工具を使って鍵をこじ開けて、何とか倉庫を脱出する事が出来た。
 澄子がまともに歩ける状態じゃなかったから、あたしと愛美で肩を貸して近くの公園まで逃げて、澄子が動けるようになるまで公衆トイレの中に隠れてた。
 夜が明けた頃、愛美に駅のコインロッカーの荷物を取りに行かせて、その場で着替えを済ませて、ようやくあの町を出る事が出来たの」


「それで、三人で東京まで出てきたんですね」


 真貴子ママは「ええ」と頷いて息を吐く。


「行きがかり上仕方がなかったからね」


 心ちゃんが尋ねる。


「東京にあてはあったんですか?」


「一応ね。
 澄子と二人で祇園の街に出向いて、自分達を受け入れてくれる店がないか探した事があるの。
 住み込みで舞子として育ててもらえないかと思って。
 だけど施設に内緒で引き取る事は出来ないってどこの店にも断られて………。
 その時たまたま店の前を通りかかったヤクザの男が、あたし達の話を聞いて声をかけてきたの。
 東京に出てこないかって。
 その《渡邉》という男も京都の生まれで、戦争孤児として育ったから、身寄りのないあたし達に同情してくれてね。
 渡邉は当時『絵島会』の幹部にいた人間で、困った事があったらいつでも連絡してこいって言って、名刺をくれたの。
 その時は断ったけど、このまま虻川に汚されるぐらいなら、自分の意思で身体を売って働いた方がマシだと思い直してね。
 渡邉を頼りに歌舞伎町まで向かって、名刺に書いてあった事務所を訪ねた。
 渡邉はあたし達三人を受け入れてくれて、アパートもその日のうちに用意してくれたわ。
 だけど後は、自分達で稼げって。
 もちろんその覚悟は出来てた………あたしと澄子はね」

5

「近藤さんはどうだったんですか?」


「愛美はいざヤクザの連中を前にすると尻込みして、店に入店した初日から客の前でギャーギャー泣きわめいて、話にならなかった。
 そのうちアパートに引きこもって勝手に休んだりして、店の人間からよく殴られてたわ。
 だけど愛美の分の生活費は、あたしと澄子が出してやるしかなかった。
 京都に帰りたいなんて言い出した事もあって、勝手に帰れって言ったんだけど京都に帰る電車賃も稼げなくて、ある日愛美は客の財布から金をくすねたの。
 それが客にバレて、組の人間に落とし前をつけるように言われてね」


 “落とし前” と聞いてゴクッと唾を飲むと、豪が「どんな落とし前だよ」と尋ねる。


 真貴子ママは真顔でチラッとこちらを見る。


「組の人間が客と話をつけた世話代と、店の信用を傷付けたっていう賠償金として100万払えってね」


 はぁ?と、豪は顔を歪めて聞き返すが、涼さんが淡々と「それで?」と続きを促す。


「もちろんそんな大金払えるわけがないから、連中に借用書を書かされてた。
 そして店で働いてる分は全額借金に回される事になった。
 そのせいで、あたし達まで煽りを喰う事になったわ。
 当分愛美の面倒を見なきゃならなくなって、店の人間からは “連帯責任だ” なんて突き放されるし………さすがに頭にきて愛美をひっぱたいた。
 電車賃ぐらいくれてやるから帰れって言いたかったけど、連中に借金を負わされた以上、帰らせるわけにはいかなかった。
 もし愛美がどこかに飛んでしてしまったら、そのツケはあたしたちに回ってくる事になる」


 無茶苦茶だけど、そういう事になるのか………。


「連中は未成年だから利子までは取らないでやるって言ってたから、気が変わらないうちに働いて返せって、愛美の尻を叩いて店に通わせたわ。
 最初は愛美もあたしと澄子に対して小さくなってたけど、ちょっと時間が経つとすぐに罪の意識を忘れてだらけたり、手首なんか切って同情を買おうとしたり………。
 借金以外にも、無断欠勤や遅刻の罰金までかさんできて、半年は我慢したけどそれ以上は我慢ならなくて、店の人間を通さず渡邉に直訴したの。
 愛美とは別々に生活させてくれって」


「………」

6

「渡邉はあたし達を拾ってくれた人物だけど、そう簡単に許してくれるような甘い世界の人間じゃない。
 あたしか澄子が、どちらかが店で一番の稼ぎ頭になれたら言う事を聞いてやるって」


 豪が度肝を抜かれたように「いっ」と声を上げる。


「一番だぁ?
 それって、まだ中学生の時の話じゃねぇのかよ」


 真貴子ママは淡々と「ええ」と答える。


「15になったばかりの時の話よ。
 だけどあたしはその条件を飲んだ。
 そして二ヶ月後にはなったわ、店のナンバーワンにね」


 豪は目を剥いて絶句する。


 なんて人だ………。


「渡邉は笑って承諾してくれたわ。
 ご褒美に、あたしと澄子が住むアパートの初期費用まで出してくれた。
 それでようやく、愛美の面倒を見なくて済む事になったの」


 煙草を吸いながら話を聞いていたかすみママが「なるほどね」と頷く。


「渡邉の名前くらいは聞いた事があるよ。
 そこで渡邉に気に入られたから、組の人間を使って歯向かう女を痛めつけられる立場までのし上がったってわけかい」


「まあね」


 真貴子ママは他愛のない顔をして冷めたコーヒーを口にする。


「ナンバーワンになってからも稼ぎ続けたもの。
 16になってからはキャバレーに移って、18で水商売に転向して………絶対に這い上がってやると心に決めてたわ。
 金を持ってる客をつけて、色んなところに連れて行ってもらったり色んな事を教わったり、そうやって知識と教養を身に付けた。
 京都に捨ててきた過去を軽はずみに持ち出してくる頭の悪い女は、全員黙らせてやったわ」


 かすみママは目を据えて真貴子ママをジッと睨み付けている。


 知り合いが痛い目に遭わされたからだろう………。


「澄子もあたし程ではないけどそれなりに稼いでたから、そのうちお互い自立して別々に暮らすようになった。
 それでも、澄子とだけは変わらず仲良くやってた。
 同じ店では働かないようにしたりしてね」


「尾沢さんとはその後どうしてたんですか?」と、涼さん。


「そのうち滅多に会わなくなったわ。
 金に困って助けてくれって言ってくる事があって、貸してやる条件として、表では絶対に話しかけてくるなって言っておいたから。
 風俗でもろくに稼げないみすぼらしい女と付き合いがあるなんて思われたくないし、もうすでにあたしと澄子とは住む世界が違ってたしね」

7

 真貴子ママは撫でるように夜会巻きの髪に触れ、しなやかに腕を下ろした。


 真貴子ママを取り巻く上品さ、そして度胸は、そうやって培われてきたものだったのか………。


 ヤクザを味方につけ、自分を脅かす者を痛めつけ排除しながら、金を持っている男から知識と教養を学び、まるで蛹から蝶が脱皮するかのように過去を脱ぎ捨て、美しく強い羽で夜の世界を羽ばたいた。


「ではなぜ、あんな事件に繋がる事になったんですか?」


 真貴子ママは視線を手元に落とす。


「………結局、愛美はあたしにとって疫病神以外の何者でもなかったって事よ」


「と言うのは?」


 真貴子ママは息を吐いて肩を落とす。


「20年前………あたしは新村の子供を身ごもって、そして彩香を出産した。
 妊娠した事がわかった時、絶対に産もうとすぐに決心がついたわ。
 それまで特に子供が欲しいと考えてたわけじゃないけど、あたしの中に一瞬にして母性が目覚めた。
 子供を産んで、第三の人生を歩みたいと思った………。
 新村に話さなかったのは、話せば絶対堕ろせと言われるのが目に見えていたから。
 新村が自分の社会的立場を何よりも重んじる人間である事はわかってたしね………。
 あたしも本気で新村を愛していたわけじゃなかったし」


 心配になってチラッとピンクの方を見ると、ピンクは両手で口元を抑えた姿勢のまま虚ろな目で話を聞いている。


「妊娠した事は澄子にしか話さなかったわ。
 子供産んで育てるとしたら、組の連中との関係を断ち切りたいと思ってね。
 無事に子供を出産したら、東京を離れるつもりだって事を話したら、澄子はあたしについていきたいと言ってくれたの。
 一緒に子供を育てようって」


 中大路澄子の顔を思い出すと、そんな事を口にした姿が想像出来なかった。


 でも、過去に乱暴された男の子供を妊娠し、その上流産した経験があったのなら、何か思うところがあったのかもしれない。


 それに今となっては、あの時ピンクに取った冷たい態度は、あらかじめ真貴子ママと打ち合わせていた作戦だったのかもしれない。


 ピンクが探偵である吉澤さんに母親捜しを依頼している事を知り、わざと中大路澄子の居場所を知らせて冷たい態度を取らせたその目的は、母親捜しをそこで終わらせる事だったのだろう………。

8

「澄子の申し出は嬉しかったわ。
 澄子もあたしも、母親に捨てられて育った者同士で、頼れる親戚もいない身の上だったから………。
 それにそのうちつわりがひどくなってよく貧血起こしてたから、一緒に店を休んで支えてくれた澄子には本当に感謝した」


「つまり、新村社長と中大路さんが話していた事は、事実に基づいた話だったというわけですね。
 あなたと中大路さんの立場を入れ替えて」


「ええ、その通りよ。
 まさか澄子があたしに付き合って休みを取ってくれた事を、都合よく利用する事になるなんて夢にも思わなかったけどね。
 妊娠中は体調を崩してばかりいたけど、彩香は何の問題もなく安産で生まれてくれた………。
 予定通りに退院して、澄子と今後の事を話しながらタクシーで自宅に戻ったところを、またしても運悪く見付かったのよ。
 ………疫病神の愛美にね」


「………」


「愛美には当時住んでいたマンションの場所を知らせてなかったんだけど、店の送迎のドライバーから聞き出して訪ねてきたところだったのよ。
 また金を貸してくれってね………。
 しばらく会わない間に、愛美はさらに借金まみれになってた。
 あたしが抱いている赤ちゃんを見て驚いてたけど、すぐに馴れ馴れしくなって彩香の顔に触れようとしてきた愛美の手を、澄子が弾き飛ばしたの」


〈何勝手に触ろうとしてんねん!
 汚い手で触るんやないわ、このアホ!〉


 中大路澄子はそう言って尾沢愛美の前に立ちはだかったそうだ。


〈そんな………別に汚れてへんて。
 ちょっとぐらい触らせてくれたってええやないの。
 弥生ちゃんの子なんやろ?〉


〈誰が弥生ちゃんやねん。
 ここにおんのは真貴ちゃんや。
 もうあんたがしっとる弥生ちゃんはどこにもおらへん〉


〈え、どないしたん澄ちゃん?
 いきなりそんな事言うて………〉


〈うちももう澄ちゃんやない、瑛里子や。
 もう一生あんたと関わる気はないねん。
 とっとと帰りぃ!〉


 中大路澄子が神経をピリピリさせながら追い返そうとする姿を見て、尾沢愛美はそこで勘付いたらしい。


〈まさか………また二人でどっか行こうとしてんの?〉


「………そういうとこだけは敏感なのよ。
 普段はボーッとして馬鹿なくせに、周りが自分から離れようとすると勘が働くって言うか………」

9

〈赤ちゃん生まれたから………どっかよそに移り住もうとか考えてんの?〉


〈うるさいわボケ!
 うちらがどこに行こうと、あんたに関係あらへん〉


〈関係あるわ!
 ………なんで? なんでいつもうちだけ仲間外れにしようとするん?
 うちら同じ施設で育った仲間やのに〉


〈だから、もう昔のうちらはおれへん言うとんねん!
 何が仲間や、勝手についてきた分際で。
 誰のせいうちが流産したと思うとんねん!〉


〈流産って………え? なんで?
 あん時お腹の中に起こったのは虻川の子やったんやろ?
 堕ろす金が浮いて良かったって、澄ちゃん言うてたやんか〉


 それを聞いて、真貴子ママは方便に戻って尾沢愛美を怒鳴りつけたそうだ。


〈アホも休み休み言いや!
 そんなん本気で思うとるわけないやろ!〕
 女はな、そんな風に簡単に割り切れるもんやないねん!
 そんな事もわからへんやなんて、いったいどこまで脳みそスカスカなんや。
 ええ加減にしいや!〉


〈弥生ちゃん………。
 ごめん………うち、そういうつもりやのうて………〉


〈もううんざりやわ!
 あんたと関わるとほんまにろくな事ないねん!
 今まで貸した金はもう返さんでもええわ。
 そのかわりもう二度と、あたしらの前でその馬鹿面晒さんといてや!
 ………行くで、瑛里子〉


 そう言って身を翻し、マンションの中に入って行こうとすると、尾沢愛美が態度を一転させて言ってきたそうだ。


〈なんやねん………そうやっていつもいつもうちの事バカにして………。
 そんなん態度とるんやったら、うちにも考えがあるわ!〉


〈考え?〉


〈その子、あれやろ。
 あの『Nフィットネスクラブ』の社長の子なんやろ?
 こないだ店の人間から聞いたんや。
 弥生ちゃんが付きおうとる新村っちゅう男は、あの『ニイムラスポーツ』の御曹司やってなぁ〉


〈………〉


〈上の人間しか知らん事やから黙っときい言われて黙っとったけど、うちの事を見捨てて行こうとするんやったら黙っておれへん………。
 マスコミにしゃべったるわ!
『ニイムラスポーツ』の次期社長には愛人の子がおる、しかもその女は、昔風俗で働いとった女やってなぁ!
 きっと辛い思いするでーその子。
 母親が元風俗嬢なんて〉


〈なんやて?
 あんた………ほんまにええ加減にしいや!〉


〈瑛里子!
 ………いいわ、あたしが話をつけるから。
 どうして欲しいわけ?〉

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