つぶやき一覧

もう数十年前ですが、薬害エイズ(輸血製剤の中にエイズが混入されていた問題)で、学生が厚生省に抗議運動を行った時も同様のことがあって、当時学生に協力していた小林よしのり氏もゴーマニズム宣言で指摘していた。 そして、その反動で反左翼になったことからその後のゴーマニズム宣言もおかしな方向に行った・・・・・
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国立大学の授業料値上げ反対運動について。学生さんが声を上げることは全然いいと思います。 ただ、こういうことがあると、必ずそれに便乗して左翼団体のオルグ(勧誘)要員が入り、その中には過激な団体もあるので、学生の方が読まれていたらこれにはご注意ください。 そういう団体に引き込まれそうになってちょっと洒落にならないことになった方を実際に知っているので。
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ちょっといい話? 私は、酒は一滴も飲みませんがタバコは吸うという人です。 で、ふらっと入った個人商店で、タバコをレジに出したら、店のお爺さんが、いくらだっかなね?といって、値札を見たら500円だったので払って店を出ようとした。 が、更新された値札が剥がれかかっていてよく見たら540円だった。そのまま見なかったことにして店を出ることもできましたが、ちゃんと「間違いでした」といって四十円払いましたよ。 それを言いたいわけなじゃく、そんな管理でも成り立ってる店が、きっと周辺住民に支えられて今でも生き残ってたことがなんかいい話だと思ったんです。 五百円と言われたら、見なくても信じるその人柄が、客足を繋
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こんにちわ、ユーザーネームを改めました。 「星屑の砂漠」という意味です。 引き続きお付き合いのほどよろしくお願いいたします。
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小説の自分のブログを始めました。 http://stardustdesert.com/ 「シルヴィン〜神の銀狼〜」はそちらに移転しました。 重ねてよろしくお願い申し上げます。
今日の昼食にふらっと入った一見のうどん屋さん。 大将はとても威勢の良い掛け声で、豪快そうな人に見えて、麺茹でにはタイマーを使い、一人分に出す麺の重さを図るなど細やかな仕事をする人だった。 こういう人の意外な側面を描くと面白い小説になる。そして理系の人間としては、こういう細やかなデータ処理ができる人でないと実験はやれない。そして私がうどん屋の親父だったら、そういうのは全部目分量でやってしまうと思う。
エブリスタ初めネットで思いや考えを発信し始めて数年になりますが、始めた頃はとにかく目立ちたくて、無論常識の範囲内のことではありますがなんでも書いていましたが、最近、一つ一つの言葉の意味を深く考えるようになりました。ある思いに気づいたからです。それは、自分が思いつきで言ったことに、人が非難や反発をするよりも何よりも、何も考えずにホイホイ賛同されることの方がよっぽど怖い、と。 それはそのかたの人生の一部に影響するかもしれませんから、その責任を考えるように最近なりました。
「気分良くやる」ことは「目的を成功させる手段として」は「正しい」。しかしそれは「その目的が正しいか」を教えてくれはしない。だから、気分を壊したとしても、「その目的の是非を考える」ことは何をやるにしても必要。
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思ったこと 「俺のやり方が気に入らないなら出ていけ」 ↑このセリフを言う人は、少なくとも相手がその「俺のやり方」を気にいるか、自分の意思でついていきたいと思えるかを自分で考えて決める権利は尊重している。
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しかし、それは、「人が作り出したルールに沿って生きる」ことであり、そのルールとは、「人間の思考そのものが生んでいる迷いから逃れるための安心を得るための『島』」のようなものであると気づいた。 そこで彼は「海」で生きることにした。そこは、「海面=(『法律+人と接する上での最低限のマナー』のようなもの)」を超えない限りは「360度どこに行っても良い」という世界なのです。 それを悟った彼は、蛹からかえってどのような姿になったかというと「足の生えたイルカ」なのです。これは、「基本海の生き物だが、足があるので気が向いたら陸地の人とも交わることはできる」という意味なのです。 このリンクに動画あるのでよか
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子供の頃、「おはスタ」という学校に行く前の朝子供が見るテレビの中で、秋本きつね氏の「箱入りせがれ」という、一見子供向けギャグアニメのようなCGアニメ、及びそれを元にしたゲームがあって好きだったのですが。 これのフルバージョンを見たら、意外にも物凄く深かったのです。 主人公「せがれ」は、人の体に頭が黄色い矢印という姿で、「さなぎなので矢印」という、一見ふざけた設定なのですが。 これは「一つの方向にしか進めない」=「物事を一面的にしか捉えられない」という意味であり、これで彼は、「皆が同じ方向に進める社会に溶け込むために迷う」のですが・・・・(続く)
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あるところで「裁判沙汰」という言葉を書いたのだが、「沙汰」とは元々「裁判」という意味であり、これでは「裁判裁判」だ。 本当に言葉は難しい。
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これはよく日本では「マク」と表記されてそう読んちゃうけど、一つだけ、「意図せずして」正しく「マック」と日本人に発音されている名前がある。 それが「マッカーサー  MacArthur」これは「マック・アーサー」なのである。 cの後に来るのが母音のAなのでカになったのでしょう。しかし、もしこの人が日本を占領統治しにきたのではなく「アーサー」というキャラクターを全面に出してハンバーガーを売りにきてたんだったら、こっちが強調されて「マクアーサー」だったかもしれない。 難しい。
マクドナルドを、「マックドナルド」と正しく英語発音してるyoutubeCMを見て思ったこと。 「McDonald」の看板のDが大文字なのは、ドナルドを強調するための大文字ではない。英語では名前に「Mc〜,Mac〜」がつく苗字があり、これは「〜〜の息子、子孫」というような意味で、この場合その後の名前の頭文字を苗字の途中でも大文字で書くことがある、つまりこういう名前で、正しい発音は「マックドナルド」。 ハリーポッターの「マクゴナガル McGonagall」先生も、正しくは「マックゴナガル」続く。
みなさまへ。地震について、私の身辺は問題ありません。 北日本の皆様が一人でも多く無事でいらっしゃることを切に願っております。
「きわどい質問」をchatGPTにしたらどんな答えが返ってくるか?その回答集。 と言う企画を始めてみました。よろしければどうぞ。 https://estar.jp/novels/26183135
ただランキングというものは存在します。出版社から声がかかるのを待つならこれはどうしても気になるでしょう。 ここで、そうしたところの競争をするならそれはどうしても苦しいものです。 でも、それを意識せずに、一人でも読んでくれる読者がいればいい、という使い方だってできるのです。 ここに「個性」があればそれでいいのではないでしょうか。
エブリスタに、全く一字一句同じ文章を書くユーザーなど一人としていないでしょう。その違いは、「他との比較対象」だから認知されうるものでしょう。 だから「比べたがっていない」ユーザーなど一人もいない。これ自体は別に悪い事ではないんです。 続きます。
「人と比べないで個性を認めよう」⇦不可能である。これは破綻した命題である。 なぜなら、「個性とは他と比べることでしか認知され得ない」ものだから。 「それなのに僕ら人間は、どうしてこうも比べたがる」⇦「個性を認知してほしい」から。その「自意識」を持っているから。 ではこの自意識とはどう扱ったらいいものか。続きます。
今書いている長編に、心理テストをやる描写があるが、登場する精神科医の言葉で、「例外的な事象はいくらでも起こりうるので絶対的信頼ができるものではない」とも書いた。 いつだったか読んだ、なんか心理学関係者の本に、「ある高名な心理学者と言われる大学教授と話したときに、『監修したあの心理検査だが、実は自信がない部分がある』と言っていた。」という記述があって。 だから、そういうものは、参考にはなるが、過度の依存も危険だと思う。
こんなことを考えた。言葉は、「人名」や「地名」になると、その人や土地を区別するための「記号」になるので、その本来の意味を失う。 例えば「田中」とは、文字だけを捉えれば「田んぼの中」という意味であるが、田中さんという人を区別する人名として用いた時もはやそこにその意味はない。 言葉はいつからそうなるのか。 昨今話題の「ロシア」は、古くからあるあの場所の地名だが、「ソビエト」とは「委員会、評議会」というような意味で、「人民の委員が国家を構築する」というような革命の意思表示として「評議会共和国」というような意味合いでつけた国号が「ソビエト共和国」である。しかし、これが解体したのは私が3歳ごろだったが、
あることをメモしようとしたらメモ帳をどこに置いたか忘れていた。 そして探して見つかった時には、何をメモしようとしたのか忘れてしまっている。
これは、あまり知られていませんが、「芥川龍之介が東大英文科を出てから作家として食っていけるようになるまで海軍機関学校で英語の先生をして生活していた」と言うエピソードから着想を得たもので、この先生は、自分もそんな感覚だったが、結局俺は芥川龍之介にはなれなかった、と言うような話です。 また芥川は、作家を目指す若者に対しこのような言葉を述べています。 「文芸家たらんとする中学生は、須らく数学を学ぶ事勤勉なるべし。然らずんばその頭脳常に理路を辿る事迂にして、到底一人前の文芸家にならざるものと覚悟せよ。文芸家たらんとする中学生は、須らく体操を学ぶこと勤勉なるべし。然らずんばその体格常に薄弱にして、到底生
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で、この作品ですが、これは「ミステリー的に展開を考えて欲しい」と言うより「読んでお考えになってほしい」と言うのが私作者の意図であり、その過程でネタバレがされることはそれほど問題ではないと思っています。 なので、これももう書いてしまいます(まだ本編に出てきてすらいないのに)が、これをいった人物は、自身も英語の先生だが、かつて小説家を目指しており、作家として身を立てていけるようになるまでの腰掛け的に教師になったが、学校で生徒や教育に対峙していくうちに教育に本気になり、小説の筆は折った、と言う設定の教師なのです。 こういう先生もいたっていいと思っています。
これを書いたらネタバレになるが、これについてはこんな研究があったようで 「2011年にカリフォルニア州立大学心理学部が学生30人を対象に行った実験では、これから読む推理小説の結末を知らされずに読んだ読者よりも、結末に関するネタバレを知らされていた読者の方が、作品を楽しめたという評価が高くなるという結果が得られた。」 wikipedia[ネタバレ]より。
続きの続き 「その領域までをも含めた生徒の全人格に対し一人の教師が全責任を負うなどと言うことは原理的に不可能なことであり、そのようなことをそもそも教育は宣言してはならない。それを求めることは生徒が自らの知識と思考でできるようにすること、それが教育が生徒に付与すべき知識、そして信頼である。」
続き 「そして、社会の全ての部分に共通する理念を求めればそれはすべからく政治であり、全ての人間の人生に共通する意義と哲学を語るならばそれはすべからく宗教である。 これらの話を、政治宗教抜きでしようなどと言うのは、ボールを蹴らないでサッカーをしようとか、バットを振らないで野球をしようなどと言っているようなものである。」
教育について思うことで、今描いてる長編である人物に言わせるつもりのセリフだが、大事なことで、ずっと学校について思ってることなのでもうそこだけここに書いてしまう。 「教師が生徒に、一般的道徳論や公序良俗を教える範囲を超えて、政治や宗教の領域にまで踏み込んだことを言うならばその時は、生徒がその先生に全幅の信頼を寄せている状態が必ずしも好ましいことにはならない。」
https://estar.jp/novels/26149316 この作品は、自分史上3回目の、10万字超え大作になる見込みです。 前回の「シルヴィン〜神の銀狼〜」も、数年かけてチマチマ更新しましたのでまたそうなると思います。(前々回のものは諸事情により現在は非公開) そして、前回もそうでしたが、ストーリーのプロットと「最後の締めの一文」まで決まっております。 が、そこに到達するまでに、やはり数年はかかるのです。 気を長〜〜区おつきあいくだ
こんにちわ。 創作活動は、全て手で行うという考えを捨て、言うような部分についてはAIを使うという自己ルールを改変した記念に、プロフ画像もAIで作ったものに変えました。 ただ、ストーリテリングと文章の技巧自体の修行は続けていきたいです。 必ず手で行わなければならない部分はまだまだたくさんあるとは思っています。
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