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昔雨の降る街で

 


僕の住む街には『昔雨(むかしあめ)』が降るのです。

 

盛大なサイレンが鳴り響き、中央庁から告げられるアナウンス。

『これより、「昔雨」が降ります。建物から出ないよう、お願いいたします』

僕は慌てて店の二階の住居フロアのベランダへ走ると、備え付けタンクの蓋を開け放った。

『昔雨』が降るのは、数ヶ月に一度。これを逃すと、こちらの商売も上がったりなのだ。

やがて、階下の店先から、濁声が聞こえてくる。

「るーと、窓ヲ開ケテクレ」

僕は苦笑いを交えて下へ叫んだ。

2

 
「吉之助(きちのすけ)さん、また失踪するつもりですか。それに」ベランダの窓を閉め、階下の店へと階段を下りながら「僕は『隆登(りゅうと)』、ルートじゃありませんってば。何十年一緒に居れば、覚えてくれるんですか」

店の窓辺にたたずむ不恰好でツギハギだらけの黒猫のヌイグルミが、そのキュートで無表情な顔を僕に向けると喋りだした。

「『ルート』ト呼ンデオル。ソレヨリ、サッサト窓ヲ開ケテクレ」

「はいはい」

彼に逆らう気もなくて、素直に窓を開け放つ。

3

 
空にはじんわりと雲が立ち込め始め、徐々に雨降り天気に染まって行くのだ。

吉之助さんも空を見上げていた。

「あのですね、吉之助さん」

「説教ハ、聞カン」

「ですが、『昔雨』に見えるものは、すべて『夢幻(ゆめまぼろし)』であって、現実じゃないのですよ」

黒猫のぬいぐるみは、ボタン製の黒光りする瞳をこちらに向けて。

「シカシ、戻ッテ来ヌ者ガイルノデアレバ、ソレハ、現実ニ『夢幻』ト出会エタノカモ知レヌゾ」

「どこかで野垂死しているかも知れないでしょ?」

4

 
「ソナタ」黒猫の吉之助さんは、あきらかにガックリしたように顔を伏せ。

「夢ガ無サ過ギル。ジジクサイ」

「すみませんね。これが性格なので」

『昔雨』の中に飛び出して、二度と戻って来なかった者の話はいくつもある。遺体も見つからず、行方不明者として登録されている者達の顔写真は、テレビやネットであちらこちらにばら撒かれている、現実。

それでも見つからない、現実。

「彼ラハ、時ノ向コウへ行ッタノカモ知レナイデハナイカ」

「吉之助さんこそ、夢を見すぎてますよ」

5

 
「夢ヲ見テ何ガ悪イ」吉之助さんが尻尾をピンと立て、僕を見る。

「『人』ニ戻リタイ訳ジャナイ。幻デモイイカラ、失ナッタ『彼女』ニ会イタイダケダ」

吉之助さんの過去の詳しい話は知らないけれど、元が『人』で、『愛しい彼女』と満足な最後の言葉も交わせずに離れてしまった過去だけは、『昔雨』が降る度に聞かされる話。

そして、最後は、こう締め括られる。



『愛(いと)シイ者ノ手ヲ、離シテハ、イケナイ』



だけど、そんな言葉をすんなり受け入れるには、僕もいろいろ有り過ぎたようです。

6

 
窓から見上げた空から、ポツポツと水滴が落ち始め、見る間に大粒の雨となり、地面を叩き始める。

たちまち雨は街を覆い、水のスクリーンが出来上がった。

吉之助さんは、いつものように身を縮め、全神経を外へと集中。布製の外側も、その真剣さに逆立ったように見える。

いつもの決まりきった会話が、今日も交わされて。

「吉之助さんさえ良ければ、『昔雨』の瓶詰めを作りますよ」

「何度モ言ウガ、贋物ナゾイラヌワ」

7

 
空から落ちる、追憶を呼び覚ます『昔雨』を、ガラスの瓶詰めにしたり、鉢物に入れたりして、僕のお店では売っている。

『昔雨』に見た幻を、いつでも見たい人達が買いに来るのだ。

幻を、瓶詰めにした『昔雨』の中に再び見つけるために。

時間を想う=時想屋(じそうや)というのが、お店の名前。

過去を想う人々のお店なのだと、先代の店主であるじいさんは言っていた。



「『昔雨』はこの星の記憶なのだよ」とも。



やがて、雨が降りしきる中、ぼんやりと人の姿が浮き出してきた。

8

 
そこに現れる人々は、性別はもちろん、服装もバラバラで、遠い昔に写真で見たことしかない、防空頭巾なるものを被って走り去る女性もいれば、真っ白のタキシードで立ち尽くす男性の姿もある。浴衣姿の少女、セーターにマフラー姿の少年。

すべての季節を網羅して、雨の中に映る人々。

その中を、腰よりも長い黒髪をたなびかせて走って行く少女の姿を、吉之助さんは見つけてしまった。

「ジュリ!」

一声叫んで、吉之助さんは窓から飛び出すと、雨の中へと消えて行きました。

9

 
後に残された僕は、今日何度目かの溜め息をつき、窓を閉めた。

正直な話をすれば、僕は吉之助さんがうらやましいのかもしれない。

僕には、この雨に追憶を求める思い出の人などいない。

せいぜい、先代のじいさんくらいだが、追憶とまで言うほどの年月は経っていないのだ。

ただ、一人だけ。

いつも見る女性がいる。

肩までの黒髪、真っ白なドレス。そして、決して振り向かず立ち尽くす女性。



『じいさん、あの女性は誰だろう』

 昔々、聞いたことがある。

10